現場発で考える新しい働き方

「自分の働き方」は自分で決められないのか 弁護士 丸尾拓養

記事保存

日経BizGate会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。

「同一」は働く自由と規律とどう関係するのか

 「同一であるべきである」という考え方は、ときに現場の一面的な把握や理論の一面的な理解に基づくことがあります。或る価値観に拠ることもあるでしょう。実務は、その理念を理解しつつ、現場との整合を目指します。「非正規雇用」の問題が実は「正規雇用」の問題であることに、現場は気づいています。正規雇用の「問題となる例」が指摘されるべきなのかもしれません。「同一」であることを求められることは、労働者には酷な面もあります。「正社員」は誰と「同一」であることを求められるのでしょう。

 誰もが望んだ会社に入れるわけではありません。誰もが望んだ学校に行けるものでもありません。会社に入っても、内示はあっても、最終的には会社の決定により、仕事は決まります。これを1968年の最高裁の大法廷判決は、「労働協約や就業規則によって、まず、労働条件の基準を決定し」、「その基準に従って、個別的労働契約における労働条件を具体的に決定するのが実情である」と説示しました。前段が就業規則等であり、後段が使用者の決定です。別の言い方をすれば、前段が「(職務の内容及び配置の)変更の範囲」であり、後段が「職務の内容(労働者の業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度)」です。

 この「変更の範囲」が限定・特定され、「職務の内容」が具体化・特定されることは、労働者にとって常に利益なのでしょうか。ここに時間軸を入れたとき、ずっとここで、この仕事だけをすることの利益と弊害とが見えてきます。この時間軸の中で、会社の変更を含めて労働者自身が能動的に動く働き方と、この変更を会社に委ねる働き方があります。もちろん、二極で考えるのではなく、この中間も広く存在します。ここで、”job description”は手段にすぎません。”job description”が曖昧であるとき、実は二極の中間に収束または偏在していくことでしょう。そこに中間層が生まれます。

 この中間の曖昧さこそ、能力主義、「職能」、そして「労働力」という概念の拠るところなのでしょう。”potential”も同様です。ここでは柔軟に対応できる規律が必要となります。そして、「職務の内容」や「変更の範囲」ではなく、「その他の事情」も重視されます。この「その他の事情」には、働く自由が含まれるようにも思われます。

 過度な「同一」論では、組織論として、働くときのモチベーションが見過ごされているような気がします。同じものになることにモチベーションが生じるときもあるし、違うものになることにモチベーションが生じるときもあります。違っても同じに扱われることが「消極的な」モチベーションになることもあります。評価されないことが「安心」につながることもあります。いずれにせよ、「同一労働」があるためには、「違う労働」がなければなりません。違う自分になれるためには、自分で働き方を或る程度決められるという意味での働く自由を享受でき、そして自ら踏み出すことが重要なのでしょう。

丸尾 拓養(まるお ひろやす)
丸尾法律事務所 弁護士
東京大学卒業。第一東京弁護士会登録。

キーワード:経営、企画、人事、経理、営業、経営層、管理職、プレーヤー、働き方改革、マーケティング、人材、研修

閲覧履歴

    クリッピングした記事

    会員登録後、気になる記事をクリッピングできます。