病を乗り越えて

働く意味を問う ワークとライフは「溶け合う」 サッポロビール人事部プランニング・ディレクター 村本高史

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 「ワークライフ・バランス」が叫ばれて久しい。時折、ふと考える。ワークとライフはバランスを取るべきなのか。そもそもワークとライフは対立する概念なのか。

 法的には、労働時間とそうでない時間は峻別されなければならない。労働時間は処遇に密接に関係し得るし、安全配慮義務にも関連し得るからだ。

 まったく別の観点で、人生における意味合いはどうなのだろう。ワークとライフが溶け合うこともあるのではないか。

立ち上げの慌しさの中で

 2001年のこの季節、マーケティング部門で怒涛の日々を過ごしていた。担当した発泡酒、北海道生搾りが3月22日に発売を迎えたのだ。

 この市場に初めて参入する他社競合品は、発売前から圧倒的な知名度を誇っていた。こちらは、既に2つのブランドを抱えている。強い向かい風の中で、3番目のブランドをどう立ち上げるか。

 前年、全社で期待を乗せたビール新商品は大失敗に終わった。担当ブランドの仕事が何もなくなり、他のブランドを手伝うしかない屈辱を耐え忍んだ。このままでは終われない。部としても閉塞状況を打開すべく動き始めた。ファッション系の斬新なCMで世間の話題をさらっていたクリエイティブ代理店へのアプローチが成功する。

 年明け早々、彼らから出てきたキャッチコピーは、「ナマでいきます。」。商品の持つみずみずしい鮮度感をもとに、徹底的に「ナマ」を追求した大胆なプランが示された。ブロードバンドやナローバンドという言葉がまだあった時代、前面に立てたのはブランドサイト「namashibori.com」。恵比寿ガーデンプレイスにかまくら状の白いドームを設置し、その中では連日、生番組やイベントが行われると共に、TVCMもあたかもドームからの生中継のように日替わりで投入するという驚天動地のプランだった。「面白い」。プレゼンで部長が即決した。これをどう実行するか。帰り際、直属の上司が「大変なことになるぞ」と囁いた。

 3月に入ると、土日も関係なく連日遅くまでの準備作業。前週末から告知広告も始まり、期待が高まる中の発売日だった。発泡酒市場へのお客様の関心の高さもあり、競合商品と共に、売り上げも好調にスタートした。TVCM撮影、ラジオCM収録、グラフィック撮影、ドーム内でのネット生中継の立ち会い。次から次への目まぐるしいスケジュールが続いた。休んでいる暇はなかった。

 週明けの月曜日、社内掲示板に1つの声が上がる。「生搾りのTVCMがわかりにくい」。画面の中で登場人物が小さく、何をやっているかがよくわからないというのだ。たちまち同様の声が相次ぎ、擁護してくれる少数意見は火に油を注いだ。イントラネットは炎上。予想外の事態に途方に暮れつつ、目の前の作業をこなしていった。

 そんなある日、部長から呼ばれた。「一緒に来い」。向かった会議室に待ち受けていたのは、営業担当者たち。「広告を今すぐ変えてほしい。広告を変えれば、もっと売れるはずだ」。営業の気持ちもわからないではない。とはいえ、ここで今、変えるわけにはいかない。どうしたものか。その時、部長が鋭く声を発した。「生搾りの広告を変えたければ、ここから今すぐ社長に電話して、俺を首にしろ」。その迫力に誰も言葉が出ない。しばしの沈黙。「広告は変えないから」。部長が静かに言って、その場が終わった。男の生きざまを見せつけられたような瞬間は、今でも忘れない。

 幸運だったのは、日替わりでTVCMを投入していた関係上、制作頻度も高かったこと。すぐやってきた次の制作タイミングで人物の描き方を大きくし、わかりやすさを増した。売り上げも順調に伸びる中、不満の声は何もなかったように消えていった。

 ドームを舞台にした立会いはその後も続いた。ゴールデンウィークも休みなく立ち寄り、平日の夜は生番組を見届ける毎日。丸1日の休みがない3カ月間の付けがやがて回ってきた。誰もが一安心していた頃、何も考えることができなくなっていた。燃え尽きたのだ。「そろそろ来年のプランを」と言われても、一切思い浮かばない。虚ろな状態が1カ月ほど続いたある夜、行きつけのバーで白紙のノートを静かに広げた。頭に浮かんだことを出てくるままにゆっくりと書いていった。その日から少しずつ復調し、何とか立ち戻れた。

 8年前の私の手術をきっかけに、当時の社外の仲間たちと定期的に会うようになった。お互いの今を確認する中、共に戦った日々を振り返ることもある。「あのプランをよくぞやったものだ。でも、憑りつかれたようなあんな仕事は二度とできないよね」。誇りに思いながら苦笑する。けれども、私たちは知っている。もう当時のような年齢ではないことを。そして、時代はとうに変わったことを。

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