新「企業と社員」関係論―人生100年時代に

ビジネスマン出身学長、奮闘中! 「大学にも世界標準を」 立命館大学教授 西山昭彦

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 三菱商事の代表取締役副社長を勤めていた宮内孝久さんが、2018年4月1日、語学で有名な神田外語大学学長に就任した。ビジネスマン出身の学長は全国でもごくわずかしかいない。民間企業の経営トップは大学でどのような仕事に取り組んでいるのか、民間での経験はどう生かされているのか、それを聞きに神田外語を訪ねた。

サウジアラビア駐在時に戦争勃発

 宮内さんは1975年、早稲田大学法学部を卒業後、三菱商事に入社した。商社は総合職全員が部署を問わず海外勤務をするが、当時の人気はニューヨークやロンドンだった。その中で、宮内さんは石油化学担当ということもあり、サウジアラビアに1988年末から1991年まで駐在した。周りからは左遷に見えたかもしれないが、宮内さんには第一希望だった。三菱グループとサウジ基礎産業公社(SABIC)が折半出資するイースタンペトロケミカル(通称シャルク)の石化コンビナートが日本とサウジの国家プロジェクトとして設立され、1987年に稼働を開始していたからだ。これを軌道に乗せ世界へ供給することが自分の任務と思った。

 筆者もかつて中東の研究をしており中東各国への訪問調査を行っていたが、その中でも当時のサウジの国情は日本とかけ離れていた。クウェートはホテルでは酒が飲めたが、サウジは全面禁止。大使館以外はすべてだめだ。宗教警察の取り締まりが厳しい。海外の情報は制限され、女性の写真があるだけで雑誌も持ち込み禁止。欧米的娯楽がなく、厳格な規律の下、金曜には公開処刑も行われていた。仕事のアポをとっていても、相手がいないことがある。いつ帰ってくるか部下聞くと、インシャラー(神の御心のままに)と言い、いつ会えるのかわからない。翌日またということもある。そんな中で駐在をする苦労は日本人には想像できないレベルだ。

 1990年8月、フセイン・イラク大統領はクウェートに軍事的に侵攻した。ある日突然、隣国の軍隊が国を占領してしまう。まるで戦国時代の世界だ。翌年米国の反攻が始まる騒然とした中で、日本政府や本社は危険性が高いとして、周辺地区からの日本人の撤退を指示してきた。多くの人が避難した。しかし、プラント操業もあり、宮内さんは残ることを決断した。

 「危機になった時に、人間の本性が現れる。ここで踏みとどまったことがその後の長い信頼関係につながり、ビジネスの成功を導いた」

 その後、1996年から99年メキシコ駐在として、塩の国家プロジェクトにかかわる。メキシコ政府51%、三菱商事49%の合弁だ。日本の塩消費は年間約900万トン。自給率は15%程度でほとんどが輸入に頼っており、輸入量 は世界1だ。その主な輸入先はメキシコとオーストラリアで、このメキシコの生産はとても大切なソースだ。ここでも自然保護団体の反対運動など幾多の困難にぶつかりながら、やはり「難しい仕事に一緒に取り組むことで生涯の友人を得た」という。

 やがて、これらの実績の上に本社役員となり、化学品グループのCEOとして数百人のプロ集団を率い、常務、さらに副社長に就任した。

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