現場発で考える新しい働き方

身に付いた「労働者の能力」は企業と本人どちらのものか 弁護士 丸尾拓養氏

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 人事関係者の間では「育成」や「教育」が重要であるといわれます。「従業員を大事にする」といえば聞こえはいいですが、どこか上位に立った響きもあります。「教える」とか「能力開発する」という視点は、従業員を白紙の「素材」として扱うようにも見えます。

育成の結果を労働者が享受できる時代になってきた

 たしかに、新規一括採用で「卵」や「要員」と称した雇用のもとでは、「育成」はそのシステムの要となったものでしょう。自社に即した「人材」を育て上げることは企業にとって大きな利益です。各社で異なる育成システムを有する場合、年功的な賃金体系が採られる中では、他社への転職も難しくなります。労働者はそれまでに身につけた特有の能力を転職先の他の会社でフルに活かすことは難しく、かつ別の評価システムにより査定されます。労働者側によほどの応用力がなければ、育成の時間軸を後戻りすることになります。遅い選抜で同期が横並びとなる状況では、転職は不利に働きました。

 しかしながら、1990年代からのIT機器の職場への導入とほぼ同時期に、働くことの「オープン化」、「標準化」が進みます。閉ざされたコミュニティーでの「経験」の価値が失われていくとともに、業務自体の共通化・効率化が進みました。このうえで、仕事の進め方や事案への対応などの「解法」が求められました。会議や報告・連絡・相談といった情報共有は、この解法の探求の手段であったのかもしれません。しかし、このような探求力の育成は従来のプログラムには乗りにくかったように思われます。

 一方で、管理職の在り方も変わります。従来の管理職の昇進は、労働者の年功的な経験を評価してのものでした。中間管理職という言葉があるように、管理職は必ずしも指揮命令の主体という位置付けではありませんでした。組織の中での調整役のような役割を担いつつ、上位管理職へのステップとなるものでした。しかし、今日では「指揮監督」という役割を期待されるのか、「先導」という役割を期待されるのか、それとも「管理」その他の役割なのか、それは企業や組織により異なるものとなっています。それだけに管理職の育成の意義も変わってくるはずです。

 「育成」という表現が使われる背景には、労働者を「教え育てられる者」と受動的な存在として見る面があります。しかし、今日ではもう少し多角的な視点で見る必要があるようにも思われます。労働者が働くことを通じて習得する「能力」は、潜在的なものであれ、顕在すべきものであれ、労働者の心身に備わるものです。労働者が転職することが多くなることにより、労働者の心身とともに社外に移転する能力は、この意味では労働者固有のものと言えるでしょう。能力が一企業だけで通用するものでなく普遍性を帯びるようになったとき、会社の能力開発の在り方自体が見直しを迫られるようになります。

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