新「企業と社員」関係論―人生100年時代に

関西トップ人材、衝撃の移籍 商社からメーカー社長へ 立命館大学教授 西山昭彦

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 それは2018年3月29日のことだった。三菱商事の代表取締役常務執行役員(コーポレート担当(国内)兼関西支社長)を務めていた廣田康人さんが、アシックスの社長COO(最高執行責任者)に就任した。この人事は会社経由、ヘッドハンター経由ではなく、個人ルートでの転職という意味で、日本企業経営層では希少な事例である。個人でスカウトされるトップとはどういう人材なのか。

強烈なインパクト

 実は私は、廣田さんに三菱商事時代に大変お世話になっている。初めてお会いした数年前のころの印象は、「大胆な決断、行動と詳細の把握、気配りを両立できる逸材」というものだ。何かを相談したら即断即決、すぐ手を打ってくれる。案件の詳細に詳しいので、なんでも聞ける。一方で、初めて出たパーティーなどで居場所を探していると、話が合いそうな人をすぐ紹介して輪を作ってくれる。

 できるビジネスマンは、以下のどちらかが優れている人が多い。グイグイ仕事で実績をあげるが人(特に部下など)に目が行かないか、気配りはできるが自身での決断力に欠けるの2タイプだ。人の能力は限られているから、どちらかが特化していればそれだけで十分価値がある。もし一人で両方できたら、それはやはりすごい力になる。

商事時代は最年少部長に

 廣田さんは1980年、早稲田大学政治経済学部を卒業後、三菱商事に入社した。商社は総合職全員が部署を問わず海外勤務をする。現在では入社数年以内に、全員がトレーニーで1年海外に行く。廣田さんは32歳から6年間ロンドンの現地法人に勤務し、総務人事渉外など(経理以外の本社部門全般)の担当になった。

 ここの担当範囲は広く、ヨーロッパからアフリカまでをカバーする。そのため、出張が多くなる。赴任した年にベルリンの壁が崩壊し、東欧でのビジネスチャンスが増え、ワルシャワに新規の流通施設をすぐ建設した。他方で、タンザニアのオフィスビルもオープンさせ、アフリカビジネスの拡大をはかった。各国政府、世銀などとの交渉で次々好条件を引き出した。廣田流は、新規の難しい交渉でも、接した人を納得させ、味方にしてしまう。

 本社に戻った後、43歳で広報部長に就任した。できる社員がぎっしりいる三菱商事でも、これは最年少記録で、先輩を数年追い越し抜擢された。課長時代含め、広報には9年間いた。ここで、マスコミ内に「三菱商事に廣田あり」といわれるようになる。

 とにかく社内のどんな事例も知っているし、ディテールに詳しいので、記者にとってはありがたい存在だ。交渉の達人なので、win-winで記者人脈も山のようにでき、また社内では「廣田広報マニュアル」を作った。これは今でも広報部員が使っている伝説の虎の巻である。

 その後、2010年執行役員総務部長、 2014年取締役常務執行役員・コーポレート担当 (広報、総務、環境・CSR、法務、人事)になる。この担当の広さは普通なら把握が難しいはずだが、部下の課長は「すべて細かいところまで把握している。マクロもミクロも強いので、話が早い」という。廣田さんは「課長は部下がいなくても対応できるように、すべて把握しておかなければだめだ。ファイルを読むことをいつも薦めていた」そうだ。

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