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就活を「自由化・通年化」しても、うまくいかないこれだけの理由 雇用ジャーナリスト 海老原 嗣生

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就活ルール廃止は、中西経団連会長の陽動作戦?

 就職活動の時期に関するニュースがまたもや騒がれだしている。

・新卒採用ルールの連載全7回はこちらから。1回目。 2回目。 3回目。 4回目。 5回目。 6回目。 7回目

 発端となったのは、2018年9月に経団連の中西会長が就活時期のルールについて語った以下のような発言だ。

 「経団連としてまだ決めていないが、困ると言ってくる人がいないので、個人的に(廃止と)思っている」。

 この発言に対して、「これで就活が変わる」もしくは「一括採用の終焉」と必要以上に持ち上げる声が聞かれる一方で、大学関係者や行政からは「学業阻害を助長する」という批判も起きている(経団連の中西会長はその後、2018年10月9日の記者会見で、「就活ルール」の廃止を正式に発表した)。ただ、事情を知る人間からすると、正直な感想は、「ああまたか」というところなのだ。私が雇用関連をウォッチするようになってもう30年にもなるが、その間に同じようなことが何度も繰り返されたこと。

 企業が新卒学生の採用に関して最初にルールを設けたのは、1928年の「6社協定」が最初である。以来もう90年もこのごたごたは続いている。

 この「古くて新しい新卒採用問題」について考えていくことにしよう。

 「そもそも新卒一括採用に代表される日本型雇用はやめるべきか否か」という大問題は後回しにして、まずは採用ルールに関しての過去の経緯を今回は見ていくことにする。

かつてルール廃止=自由化時代、就活は大学2年から始まった

 就活ルールが議論の的になると、「企業が一斉に採用を行うこと自体が気持ち悪い。いつでも好きなときに採用ができるように自由化をすべきだ」という声が必ず出る。ただ、これは過去の経緯を知らない人たちの戯言に過ぎない。実は就職活動は1997年卒~2001年卒までの5年間、ほぼルールがない自由化状態だった。

 1981年に産官学で構成する中央雇用対策協議会から労働省が抜け、以後、大学と産業界による紳士協定として存続した旧就職協定は1996年に潰える。その後は、日経連が倫理憲章の中で採用内定を「最終学年の10月1日以降」と定めるのみとなり、採用活動自体はいつでもできるようになったのだ。

 それが再び、活動開始時期を規定するようになったのは、2002年(2003年採用)に同憲章に「卒業・修了学年に達しない学生に対して、選考活動を行うことは厳に慎む」つまり、4年生の4月1日まで面接などの選考活動はしないという取り決めができてから。この間はほぼ、ルールなどない。

 さて、この当時、企業の新卒採用はどうなったかというと、それは目に余るほどの早期化が起きた。超大手人気企業が真正面から「インターンシップで早期・通年採用」を宣言したことでそれは始まった。先陣を切ったのが松下電器産業(現パナソニック、文中「松下」)だ。

 2001年3月になんと「新3年生(=2年末!)」をターゲットに春休みに、「採用目的でインターンシップを行う」とぶち上げた。それも、実施期間は2週間。プログラム数は140を超え、外国人留学生向けの専門プログラムまで作っている、しかも中身はおためごかしのアトラクションではなく、「実務体験型インターンシップ」だ。

 そもそも松下は1980年代から本格型インターシップを連綿と実施してきた。面接一発で採用するより、インターンで企業・学生の素を出し合ったうえでの採用の方がよい、という高邁な精神がそこにはあった。その意地もかけて、自由化の中で集大成のプログラム、そして早期・通年化に踏み出したわけだ。

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