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100年企業が大切にする長生きのヒント 慶応大学大学院特任教授/横田アソシエイツ代表取締役 横田浩一

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世界最古の企業で大切なこと

 世界最古の企業、金剛組。創業は578年。聖徳太子の命で百済から来た3人の宮大工のうちの1人、金剛重光をルーツに、四天王寺及びその関連寺院の建立、改修に従事してきた。明治以降はより幅広く社寺建築に携わったが、2000年前後に経営が不調になり2006年、高松建設傘下に入った。現在は新体制で経営再建をして事業を継続している。現在の社長、刀根健一氏は、新生金剛組における2代目のトップ。高松コンストラクショングループ会社である高松建設及び青木あすなろ建設出身だ。

 刀根さんは「技術という意味で言えば、昔のままをいかに継承するかですね。日進月歩で新しいことに取り組めなければ置いていかれる建築業界の中にあって、社寺は様式の変化が非常に少なく、昔からのことを守っていかなくてはいけない部分が多くある。それはそれで難しさもありますが、それこそが当社の守るべきものだと思います」と語る。

 社寺を建てる際、上棟式の時に棟札というものを屋根裏に祀る。そしてその棟札には工事の由緒や施工者、棟梁、大工の名前などが書いてある札だ。建物が建ってしまえば誰かに見られるものではないが、何百年か後に改修することになれば、その時の大工が目にすることになる。つまり、時代を超えて人に見られる仕事だ。だから、見えるところはもちろん、普段見えないところまで丁寧に作業する。300年後に「この大工さん、いい仕事をしたな」と思われることが目標だ。変えないということが大切なのだ

少しずつチャレンジする酒蔵

 関谷醸造(愛知県設楽町)は154年続く酒蔵だ。代表取締役、関谷健氏は1998年に関谷醸造へ入社。蔵で実際の製造工程に従事し、営業も経験した。真面目にきちんとお酒を造ること、これぞ関谷醸造のクオリティーだと納得してもらえるものを作ることが目標だ。日本酒業界には少し前に吟醸ブームという流れがあり、多くの酒蔵が拡大路線に走った。しかし、拡大すると原料米や製品のクオリティーを維持するのが難しくなり、蔵人の負担も大きくなる。当時、関谷醸造の先代は、無理に増やすことはせず、増やしても前年比+5%までという指示を出して、その代わりにいい酒をきちんと造ることを徹底してきた。

 関谷代表が新しくチャレンジしたのは、原料をきちんと自分の手でコントロールするということだ。関谷醸造では、全体の55%程度の米を地元産で調達しているので、高齢化が進み地元の農家が引退してしまうとそれが難しくなる。そこで、自分たちで米を作ることを目指し、新しく会社内にアグリ事業部を立ち上げ、高齢化で使われなくなった田んぼを譲り受け、米作りに取り組んでいる。

 今では農業をやっていることを地域に認知されて、特に農家へ案内しなくても遊休農地がでるというご連絡を頂けるようになった。現在約25ヘクタール、全体の12%が自社米だ。

 若くして代表になった関谷さん。「代替わりしたから何かをいきなり変えようと思ったことはないですね。経営というのは、少しずつ変えていくことの積み重ねだと思っているんです。先代を否定して大きくドーンと変えるのは一見カッコいいですけど、やる必要がなければ失敗につながることだってあるわけで、小さな改革というか、マイナーチェンジを繰り返していくことのほうが大切だと思います」

 関谷さんは、この先、酒自体の消費量は、微増はしても飛躍的に増えていくことはないと考える。その代わり農業部門を少しずつ大きくして自社米の比率を引き上げる。また、オーダーメイド商品や酒造り体験などサービス業に類するような部門は、成長性があると考えている。飲食業態にも進出し、名古屋に「SAKE BAR圓谷」という店舗を5年前に出して軌道に乗せた。

 関谷醸造にも危機はあった。4代目関谷さんの曾祖父の時代、当社金融業もやっていて、昭和の恐慌が起こり、金融業が破綻したことで、会社自体がなくなりそうになった。その時は親戚一同が出資して株式会社に組織変更し、なんとか危機を乗り切った。関谷さんの父の時代には蔵人の高齢化の問題があった。1995年にはコメが大不作となり、リーマンショックの時には飲食店の需要が大幅に減ったこともあった。その都度、目先で何かをするのではなく、「今これをやっておけば10年後には何とかなっているだろう」という長期的な視点に立つことで、危機を乗り越えてきた。

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