ソーシャルメディア四半世紀

偽ニュースを楽しむ人たち メディア利用の格差がもたらす未来とは 東京経済大学教授 佐々木裕一

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 そしてパットナム(2001 = 2006)が主張するとおり、現実社会の人間関係が豊かな者の方がその見返りを得やすいことから、ソーシャルメディア(狭義にはSNS)に持ち込まれた人的ネットワークの差異が、今後の機会格差の拡大につながる可能性は高い(Putnam, 2015 = 2017)。ただしこれは多くの人がすでに経験から実感している、古くから知られる見識の1つのバリエーションとも言えるものだろう。

 人的ネットワークとは別にもう1つ、私たちがソーシャルメディアから入手する情報に働きかけるより現代的なものがある。それが私たちの接触する情報やコミュニケーションを選定するアルゴリズムである。

 パリサー(2011 = 2012)は、アルゴリズムによってパーソナライズ化されたインターネットでは、人は見たいものだけを見て、読みたいものだけを読むようになると指摘し、その状態を情報フィルターによって心地良く閉ざされたシャボン玉という意味で「フィルターバブル」と呼んだ。事実、フェイスブックでは友人Aが他人とシェアしないだろうとアルゴリズムによって判断されたコンテンツは、友人Aの友人たちのニュースフィードに抑制ぎみに表示されたため、人によって意見の割れるようなニュースの表示が少なくなっていた(Bakshy et al, 2015)。

 このことを踏まえてフェイスブックは2016年5月に改良アルゴリズムを導入した(Facebook, 2016a;2016b)。しかしファリスらによると2016年米国大統領選挙前のニュース記事のフェイスブックでの共有実態は、右派のトランプ支持者が非常に限られたメディアのみに接触し、そこから発せられたニュースを拡散・共有するというもので(Faris et al., 2017)、これが過去のツイッターにおける知見(Conover et al., 2011)と同様であったため、SNSでは情報の分極化が引き続き起きていることが明らかになった。もう少し正確に言えば、平時にはあたりさわりのないソフトニュースが広く共有され、特別な時期である選挙前には政治的話題が分極構造で流通するということだ。

 そのような実情にあるアルゴリズムと利用者スキルの関係については次のような知見がある。すなわち利用者が自分のニーズに合わせて自ら情報環境を作ったときに得られる情報への評価は、メディア技術の利用スキルが低い者では低く、高い者では高い。一方で、利用者に関する情報を基にシステムが自動的に情報選別したときに得られる情報への評価は、スキルの低い者で高く、高い者で低い(Sunder &Marathe, 2010)。ここでの後者がアルゴリズム方式だが、スンダーらの結果は、このフィルターバブルを「問題」だとして認識する層と「問題」だとは認識しない層とが分離していく可能性があることを示している。

 実は前述のファリスら(2017)の米国大統領選挙前のSNS分析で最も興味深く、そして考えさせられる事実は、ツイッターとフェイスブックでのニュース共有ネットワーク構造が似通ったことであった。つまり相互に承認し合うことで友人になる現実社会での人間関係を基盤にアルゴリズムで情報削減を積極的に行うフェイスブックと、情報入手先の取捨選択の自由度が高くタイムラインに表示にするツイートの削減を行わないツイッターで分極構造がほぼ同一であることが明らかになった点である。

 このことは2つの方向での解釈が可能である。1つはSNSにおいてはアルゴリズムの有無とはほぼ無関係に、フェイスブックであれツイッターであれ、人間が作る人的ネットワークによって接触する(伝播する)情報はほぼ決定されるというものだ。そしてもう1つは、米国で多くの者がフェイスブックを使い始めて6~7年が経過した2016年の段階では(米国のMAUが1億人を超えたのは2010年半ば)、人びとの接触する情報へのパーソナライズ化のアルゴリズムの影響がまだ小さいというものである。

 筆者はその両方だという仮説を持っており、かつ今後はアルゴリズムの影響が大きくなっていくと考えている。なぜならばソーシャルメディアの下部構造にある広告からの収益拡大と利用者の情報過多を緩和する2つの点からパーソナライズに向かうアルゴリズムの導入は合理的であるからだ。さらにもう1点、技術的イノベーションとそれを信奉する心性により、人びとによって入力される自然言語、写真、動画の投稿および閲覧などの行動のAIによる解析精度がいずれも向上し(向上していると見なされ)、その解析結果がアルゴリズムへ新たなデータとして入力されていくからだ。

デジタル・デバイドからデバイス選択格差へ

 ここからはそのアルゴリズムに入力される人びとの行動に基づくデータについて考えていこう。インターネット普及期において「デジタル・デバイド」はインターネット接続の有無による差を指していた(Norris, 2001; 木村, 2001)。しかし現在の日本ではインターネットの人口普及率が83.5%に達し(総務省, 2017)、オンライン・スキルの高低(Hargittai, 2002)が生む機会格差へと関心が移ってきている。

 因果関係を示したものではないが、ハーギッタイら(2008)は「デジタル・ネイティブ」と呼ばれる幼少期からネット環境で育ってきた者たちであっても、上層階級出身の若者はインターネットを仕事や学びのため、あるいはニュース収集に利用する傾向があり、下層出身者では娯楽のために利用することが多いことを示した。その上でデジタル・ネイティブ(Digital Native)であれば、誰もが高いスキルを持つと考えられていることをDigital Naive(「デジタル・ナイーブ」。Nativeから「t」だけが抜けた造語)、つまり「デジタルの無邪気さ」と主張した(Hargittai, 2010)。日本においても、若い世代の新聞への低評価とモバイルインターネットへの高評価という傾向は戦前世代と類似しており、その傾向は「デジタル・ネイティブ」世代特有のものではなく、年齢による効果が大きいと考えられている(北村, 2016)。

 2010年代半ば以降において、接触するコンテンツやインターネット利用方法、つまりアルゴリズムへの入力データへ直結するのが利用デバイス特性への理解と当該デバイスでの実際の行動である。日本でのフィーチャーフォンでのネット利用において、ウェブの使い方と関連する接続デバイスの選択が格差の要因になりうる「携帯デバイド」という指摘が過去になされたが(小林・池田, 2005)、同様に経済的制約などから所有端末はスマートフォンのみという者が、スマートフォンとパソコンの持つデバイス特性の違いを体感する機会を持たなくなれば、さらなる機会格差の要因となりうる。

 アフォーダンス概念の提唱者である知覚心理学者のギブソン(1979 = 1985)は、私たちの環境に対する知覚が行動に働きかけると述べ、同概念を人間とコンピュータのインタラクションの場面にも取り入れたデザイナーのノーマンは、(パソコンで書く)電子メールであろうと文書メディアは適切な答えを考える時間をとることをアフォードする(促す)(1998 = 2009)と考えたが、それは「スマートフォンという小さな画面に現れるSNSなどのタイムラインは素早い処理とボタンによる反応という行動をわれわれにアフォードする」と、今日では修正されるだろう。

 しかもなお悪いことに、スマートフォンというデバイス自体がSNSの利用を問わず私たちにすぐ手に取らせることもアフォードする。これについては日本を含む18ヶ国の2016年の平均で、スマートフォン利用者の22%が5分に1回は、15 分に1回までを含めると44%がこのデバイスを利用していた(Interactive Advertising Bureau, 2017b)という事実を示せば十分だろう。つまり「現在」、私たちが身を置いている情報環境は、コミュニケーションや情報の量の増加のみならず、そのことと利用デバイスとの組み合わせで起きている「高頻度化」「高速化」と言った方がより正確で、単位時間あたりのコミュニケーションの回数、あるいは情報への接触回数の閾値を超えた増大である。つまり直感に頼りすぎた、あるいは思慮を経ない行動データのシステムへの入力がスマートフォンでは行われている可能性が高い。

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