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「本能寺」前の大雨、秀吉を天下人に 天候リスクの教訓 気象予報士の田家康氏に聞く

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 なぜ秀吉は猛スピードで畿内に戻ることができたのか、現在でも様々な仮説が出ている。有力なのは城郭史学の千田嘉浩・奈良大教授(同大元学長)が唱えるエイドステーション説(「新説戦乱の日本史」SB新書)だ。信長の中国出陣に備え、あらかじめ大阪・兵庫・姫路などの拠点に十分な食料、軍事物資、宿泊施設を備えた「御座所システム」が整備されており、このため秀吉はよりスムーズに岡山から畿内へ進撃できたという。歴史に「イフ(もし)」は禁物とされる。しかし、梅雨時の終盤における大雨がもし無ければ秀吉の運命も、その後の歴史もどう展開したかは分からない。

 空梅雨で鉄砲の威力が増した「長篠の戦い」

 信長自身も桶狭間の戦い(1560年)など、梅雨時の重要な合戦に勝ち続けた武将だ。とりわけ鉄砲が威力を発揮し、武田勝頼を破った長篠の戦い(愛知県、1575年)を、田家氏は一次資料の分析から「空梅雨の時期に行われた」と結論する。例えば、当時の「多聞院日記」には1カ月に6回もの「祈雨」の記述が残されている。5月13日に徳川家康の救援のため本拠地・岐阜を出発した信長は、20日前後に現地に着陣した。迅速な行動がモットーの信長にしては比較的のんびりとした日程だ。天候を見定めていたのかもしれない。

 田家氏は「相手より3倍近い動員数の信長・家康連合軍、騎馬隊を防ぐ『城攻めに近い』といわれた重厚な馬防柵…。晴れの日でなくとも信長は勝利できたかもしれない。しかし空梅雨のおかげで、(火縄銃を使う)鉄砲隊の威力がより確実に武田勢を圧倒した」としている。この戦いで勝頼は馬場信春ら勝頼の父・信玄以来の家臣を多く失い、7年後の滅亡につながった。

 梅雨の天候は現代に活動する企業や個人の環境にも大きく影響している。2020年の熊本県での豪雨災害はまだ記憶に新しい。気象庁気象研究所は5月20日、年間の集中豪雨の発生頻度が過去約半世紀で約2.2倍になっていると発表した。とりわけ7月の発生頻度が約3.8倍となり、梅雨期の集中豪雨事例の増加傾向が顕著だとしている。

 一方、現代は防災技術の進歩が著しい。人工知能(AI)を使った災害情報サービスのSpectee(スペクティ、東京・千代田)は、神戸市とドローンを使って人がいることを認識し、AIの音声で避難を誘導する実証実験を行った。さらに自然に近い環境を再現する「デジタルツイン」上で洪水を完全にシミュレーションして災害対応を考えたり、防災訓練をしたりすることもできるようになるとしている。企業が経営に及ぼす天候リスクを軽減するためにこうした防災技術を活用するのも一手だろう。

 (松本治人)

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