戦略は歴史から学べ

「イノベーションのジレンマ」打破 朱元璋とグーグル MPS Consulting代表 鈴木博毅

記事保存

日経BizGate会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。

 ビジネスの戦略を立てるうえで、歴史上の出来事から学べることは多くあります。この連載では書籍『戦略は歴史から学べ』(日本経済新聞出版)をもとに歴史上の「勝者の戦略」と優れた企業の戦略の共通点を探り、今日のビジネスにも活用できる手法を紹介します。第2回は明帝国の創始者、朱元璋の歩みを大きな組織が陥りがちな「イノベーションのジレンマ」を打破するという視点からみてみます。

 

 朱元璋 小さな組織が大きな挑戦を可能にする

1368年 明王朝の中国統一
朱元璋はなぜ、24人の幹部だけで南方地域を目指したのか?
モンゴル帝国は、後継者争いが続き国力を疲弊させた。飢餓に困窮する民衆の反乱が続発する中で、群盗集団とは別の道を進んだ朱元璋は、貧しい農民の出身ながら、ついに天下を統一して漢民族の王朝を復活させる。この歴史上の偉業はどのように成し遂げられたのか?

 ●モンゴル帝国のたそがれ

 1162年に生まれたチンギス・ハンは欧州・中央アジア・中国を震撼させ、巨大なモンゴル帝国をつくりました。1271年に5代目のフビライが国号を元と改めますが、モンゴル人王朝は皇帝が死去するたびに後継者争いが続き、国力を次第に疲弊させます。

 元王朝最後の皇帝トゴン・テムルは1333年に即位するも、重臣に権力を奪われて宮廷内は激しい内紛が起こり、大規模な飢饉が発生して流民が数十万単位で発生。人々は飢え、社会は混乱を極めます。

 貴族は寺院建立などに熱中して財政も破綻、インフレと共に汚職が蔓延。抑圧されていた漢民族は1337年頃から民衆反乱を始め、1351年には赤い頭巾を巻いた軍団による「紅巾の乱」が勃発します。

 困苦を極めていた民衆は、紅巾軍の蜂起に続々と集まり大軍となります。安徽省でも1352年に反乱勢力が立ち上がりますが、そこに一兵卒として参加して、やがて頭角を現したのが明帝国の創始者の朱元璋でした。

 ●なぜ、朱元璋は貧農から天下人になれたのか

 朱元璋は1328年に生まれますが、両親は貧農で食べるために土地を転々とした下層の家族でした。彼が17歳(1344年)のとき、干ばつによる飢えと疫病の流行で両親と兄が死去、飢えに苦しむ一家は食べるために離散します。朱元璋は寺院の修行僧として、食べていくために托鉢僧となって各地を歩きます。

 流浪の3年ののち、寺に戻るも元軍に焼き討ちされたため、朱元璋はやむなく地域の紅巾軍に参加。勇敢だったため、すぐに軍内でも出世の階段を登ります。

 しかし、首領の郭子興(かくしこう)以下、地域の紅巾軍は戦闘で元軍を破っても、盗賊のように蹂躙して略奪を働くだけで、将来への発想がないことに朱元璋は失望。大半の兵士を他の武将に預け、24人の腹心と少数の兵士で占領勢力のない江南の地を目指して南下します。

 当時、戦乱から身を守るため民兵組織が各地にありましたが、朱元璋は江南の民兵組織を吸収しながら膨れ上がり、地方の地主が「金陵(南京)を根拠地として略奪を止め、秩序の統括者となれば天下を平定できます」という献策を受け入れて、過去の軍とは真逆に戦闘のあとの略奪を禁止して、むやみに人を殺さず民衆からの支持を集めます。

 この時期、中国大陸の中央部では紅巾の乱で台頭した大宋国という集団が元の正規軍と衝突しており、南方へ向かった朱元璋は正規軍の手薄さにも助けられて金陵も征服。

 朱元璋は各地の知識人を尊重して、彼らの知恵を活用して略奪による食糧の調達を廃止します。また、農業改革と商行為への課税で軍団を維持したため、彼の支配地域では民衆が安心して農耕し、商人が活発に行きかうようになります。

 やがて次のような4つの段階を経て、朱元璋は漢民族の新帝国の創始者となります。

 ①極貧から紅巾軍に参加、武勇で部隊の指揮官となる

 ②江南に新天地を求めて腹心の24人らと南下、一大勢力となる

 ③根拠地を固めたのち、各地の群雄と対決し撃破を続ける

 ④1368年、南京で即位し国号を大明へ。元への北伐に勝利し天下統一

 知識人の李善長(りぜんちょう)から、平民から皇帝になった「漢の創始者、劉邦を真似ること」の重要性を指摘された彼は、劉邦の行動を意識して学びながら覇業を成し遂げます。

 朱元璋に関する翻訳著作のある堺屋太一氏は、彼を「信長・秀吉・家康を併せ持つ人物」と評価しています。貧農から波乱万丈の生涯によって天下を統一したからです。

 「明の太宗は、一人で聖賢と豪傑と盗賊の性格を兼ね備えていた」(堺屋太一『超巨人・明の太祖朱元璋』より)

 朱元璋は有能な人物を「先生」と呼び耳を傾けました。知識層や地主の意見をとり入れ、自軍を盗賊から治安維持と民族復権の求心力に脱皮させたのです。

 南部の2大群雄の1つ、陳友諒(ちんゆうりょう)を艦隊戦で殲滅し、もう1つの勢力の張士誠(ちょうしせい)は根拠地を包囲して持久戦ののち撃破します。

 元では打倒朱元璋の南征軍が計画されましたが、内紛のため実行できず、朱元璋の北伐のときも2つの勢力で内戦をしていました。皇帝は北へ逃走し元帝国は消滅します。

 

 

閲覧履歴

    クリッピングした記事

    会員登録後、気になる記事をクリッピングできます。