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回避のはずが大戦争 第1次大戦、ウクライナへの教訓

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 「ウクライナ侵攻と第1次世界大戦は似ている」――。歴史人口学のエマニュエル・トッド氏はそう指摘する(「第三次世界大戦はもう始まっている」文春新書)。第1次大戦は誰もが望まず、予想もしなかった戦争だった。しかし、当時の欧州列強諸国は事前に危機を回避できると見込んでいたという。英仏独露のリーダーたちの誤算の歴史は、ロシアによるウクライナ侵攻への教訓にもなりそうだ。

 標的は明白な「敵」より改革・融和派

 1914年7月29日、オーストリア・ハンガリー帝国(当時)は前日に宣戦布告したセルビアの首都ベオグラードを砲撃し、戦闘が本格化した。城西国際大学の飯倉章教授は「列強各国は数週間前までは武力衝突を防げるか、最悪でもバルカン半島の局地紛争で収まるとみていた」と分析する。8月に戦いが欧州全域に拡大しても、数カ月で収束すると楽観視していたという。しかし、大戦は約4年半に及び、戦闘員・民間人の犠牲者は総計約1600万人ともされる。4つの帝国(ドイツ、ロシア、オーストリア、オスマン)が消滅し、国際経済・金融の中心は米国に移った。

 大戦の発端は14年6月28日、オーストリアの皇位継承者フェルディナント大公が隣国セルビアの民族主義者に暗殺されたことだ。同公は対セルビア融和派だったが、飯倉教授は「明白な敵よりも改革派や穏健派の方が恐ろしいとみる、現代にも通じるテロの論理があった」と話す。暗殺犯も大公を「一定の改革を達成することで逆に我々の統一を妨げる存在」と信じていたという。ただ一直線に戦争へ突き進んだわけではなかった。

 オーストリアはドイツ、イタリアと三国同盟を結んでおり、他方でスラブ系であるセルビアの後ろ盾はロシア。そのロシアは露仏同盟、さらに英も加えた三国協商で対抗していた。軍事的にセルビア単独ではオーストリアに抗し得ず、オーストリアも一国でロシアとは戦えない。近代化途上のロシアは迅速な作戦が取れず、ドイツはフランスも加えた東西二正面作戦を覚悟はしていたが歓迎しなかった。結局、カギを握るのはドイツとロシアだった。そのドイツ皇帝(カイザー)ヴィルヘルム2世は7月5日、オーストリアへ全面支援を約束し、ベートマン宰相も同国へ迅速な行動を促した。大戦の原因として悪名高い「ドイツの白紙小切手」だ。

 しかし、飯倉氏は「カイザーの『白紙小切手』は欧州大戦を未然に防ぐ狙いだった」と分析する。国際世論が後継者を暗殺されたオーストリアに同情的なうちに対処すれば、ロシアは動きづらい。結局、セルビアが屈服するか、局地紛争で済むと判断したという。実際、カイザーは翌日から恒例の北欧ヨット旅行に出かけ、参謀総長は湯治へ、陸相も休暇に入るなど緊張感が全く無かった。「ドイツの問題はオーストリアに対し、いい加減な約束をし、なすがままに任せた無責任さにある」と飯倉氏は語る。

 

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