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「田中角栄」を追い続けて半世紀 現代に必要な構想力 田原総一朗氏に聞く

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 田中角栄元首相(1918~93年)の光と影は7月に集中している。内閣発足(72年)やロッキード事件での逮捕(76年)が7月。初入閣(57年)、自民三役入り(政調会長、61年)、最年少蔵相(現財務相、62年)、参院選大敗(74年)も暑い夏の出来事だった。田中元首相を約半世紀にわたって追究してきたのがジャーナリストの田原総一朗氏(34年~)だ。2022年時点における「角栄論」を聞いた。

 ――立花隆氏から石原慎太郎氏まで、田中角栄に関する研究、小説は少なくありません。他方、田原さんは最も長く継続して「田中角栄とは何者か」を問うてきました。

 田原氏「田中内閣発足の1972年ごろはテレビ東京のプロデューサーとして青春ドキュメンタリーなどを制作していました。政治をテーマの中心に据えたのは76年のロッキード事件からです」

 ――今太閤と呼ばれた出世物語とも、金権政治の権化との批判からも一歩距離を置いた「角栄論」が特徴です。ロッキード事件が発覚したさなかに「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」を中央公論誌(76年7月号)に発表しました。

 「ロッキード事件は発端から不自然な動きが多くみられました。第1次石油ショック(73年)の時に田中は米石油メジャーに頼らない独自の資源外交を目指しました。これが当時の米国側から危険視され、失脚させられたというのが私の見立てでした」

 「論考の掲載後に砂防会館の田中事務所(当時、東京・平河町)から『田中が会いたいと言っている』と連絡がありました。初対面の私にも気さくで屈託がなく、数週間後に自分が逮捕される(76年7月27日)とは想像していない様子でした」

 ――田原説に対しては確固とした証拠に乏しいとの指摘もあります。しかし米キッシンジャー元国務長官を除く、ほとんどの当事者が他界した現在では証明も難しいでしょう。一方、田原説に触発されたかのようなノンフィクションや小説は今日でも絶えません。田中元首相に長時間インタビュー(約5時間)したのは1980年12月でした。

 「首相辞任後の初めての公式インタビューで、当時はロッキード裁判中ながら自民最大派閥の田中派を率い『闇将軍』と言われていました。私の遠回しの質問にはウイスキーをちびちび飲みながら『聞きたいのはそんなことじゃないだろ』などと言われました。そこで『何で(カネを)もらったのか』と切り込むと『ケンカにしたくなかった。断ればケンカになる』との答えでした」

 ――ただその部分はインタビュー記事に載っていませんね(文芸春秋81年2月号)。

 「側近らが忖度(そんたく)したのでなく、元首相本人が削ってきたのです。秘書の早坂茂三氏を通じて抗議すると『裁判対策上、困る』と譲りませんでした。このインタビューでは『法律は生き物。壮大なドラマが法律の一行一行にこめられている』というセリフも印象的でした。42年の国会議員生活で46本の議員立法を提出し、33本を成立させたことを誇りにしていました」

 

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