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利益、目先の大きさより持続性 松下・稲盛・渋沢の哲学 北康利氏に聞く

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 中国のビジネスパーソンに、抜群の人気がある日本人経営者は、かつては松下幸之助(パナソニック創業者、1894~1989年)、その次は稲盛和夫(京セラ創業者、1932年~)といわれていた。そして最近関心が高まっているのが渋沢栄一(1840~1931年)だ。

 渋沢、北京大で儒教的企業家の成功例に

 1978年、訪日した中国副首相の鄧小平と会談した松下は、翌年から中国近代化のための技術協力を開始した。北京市にはブラウン管工場の旧建屋を利用し「松下記念館」が開設されている。稲盛の経営哲学を学ぶ「盛和塾」は、日本では本人の高齢を理由に塾を閉めたが、中国での会員数が1万4000人に上る。関西大学の木村昌人・客員教授は、渋沢が北京大学で「儒商」(儒教的企業家)の成功例として紹介されていると指摘する。著書の『論語と算盤(そろばん)』も中国語訳本が出版されている。 

 3巨人の評伝を、これまでにすべて描いたのが作家の北康利氏。北氏は「3人の共通点は『大きく儲(もう)ける』より『長く儲ける』に重心を置いたことだ。中国の経営トップらは目標を変えつつある」と分析する。北氏は「新会社の事業が軌道に乗るとさっさと役員から降り、新しい分野に挑戦するのが渋沢の決まったパターンだった」と語る。一方で鉱山経営を基軸に独占的な事業を拡大していった三井財閥、三菱財閥などの手法は取らなかった。「渋沢は起業、イノベーションを『元気復興の急務』という言葉で奨励しながら投機は徹底的に嫌った」と北氏。さまざまな経済システムを設計した大蔵(現・財務)官僚の経歴から、渋沢が明治期最強の政商となることも可能だっただろう。しかし民間に身を投じた後に公職に就いたのは、関東大震災(1923年)後の帝都復興審議会の委員だけだったという。北氏は「圧倒的な影響力を持ちながら、独占しようとは考えずに健全な自由競争を通じて産業を発展させようという姿勢を貫いた」と位置づける。保有資産という点で、渋沢は同世代の三菱創業者・岩崎弥太郎に遠く及ばない。しかし「渋沢は自らの行動で、社会性を持った経営からしか、永続的な発展は生まれないことを示し続けた」と北氏は結論する。岩崎でなく、渋沢が日本資本主義の父と呼ばれる理由はそこにあるのだろう。

 永続性の経営という考えを、さらに進めたのが松下だ。北氏は『松下幸之助 経営の神様とよばれた男』(PHP文庫)の中で「お客様にとって必要不可欠なものを作っている限り、その会社はつぶれようと思ってもつぶれない」という松下の言葉を紹介している。「商売の神様、産業の神様」と呼ばれたのは1958年の大阪府知事とのラジオ番組だったそうだ。「経営の神様」というニックネームが登場するのは、62年の京都新聞夕刊からだという。

 松下「ひとつ手を打ったらすぐ次の手を」

 北氏は松下の「経営で大切なのは、ひとつ手を打ったらすぐ次の手を打たんといかんということ」という言葉を分析し、松下には「日に新た」という考えが経営の根底にあったとみる。主力商品はソケットから家電、テレビ、VHSなどへと移っていった。事業部制導入などの組織変革も、「日に新た」の延長線にあったとしている。

 松下の「水道哲学」は今でもよく知られている。メーカーの使命は良質な製品の生産にある、生産に次ぐ生産で物資を無尽蔵にして貧窮のない世界を実現させるという考えだ。ここで松下は「実現まで250年の年月が必要になる」とも言い切っている。企業の永続性も、しっかり計算に入れていたわけだ。

 松下はもちろん、優しいばかりの経営者ではなかった。1960年代前半に、松下電器産業(現パナソニック)は5年計画で売上高を4倍にする経営目標を1年前倒しで達成した。「社長失格、目標はぎりぎり頑張って達成するくらいに設定しなければならないと、松下はぼやいてみせた」と北氏は話す。社員にもっと稼げとハッパをかけているに等しい。

 現場主義も徹底していた。典型的なケースが、減収減益後の1964年に全国の販売会社・代理店の社長を招いて開催した「熱海会談」だ。3日に及ぶ販社側との激論の末、松下が「経営の一切の立て直しをしなくてはならない」と予定のない謝罪をして、本社と代理店網の一体感を生み出した。他方、松下は会議前日にホテル会場をチェックし、前の人の頭で後ろの人の顔が見えなくなることのないよう、椅子を1列おきにずらさせたという。さらに北氏は「松下電器の役員用の胸のリボンが代理店用より一回り大きいと知ると、叱って変えさせた」と指摘する。細部に気を配り、名社長は名課長でもあるわけだ。後年の70年の大阪万博では「松下館」パビリオンのスロープでの移動が大丈夫か、自分自身で試したという。開幕後は入場待ちの行列に並び、待ち時間の短縮の工夫や、夏の日差しを避けるための処置を現場に指示した。そうした松下が経営者向けに各地で講演した中の、聴衆の1人が京セラの稲盛だった。北氏の『思い邪なし 京セラ創業者稲盛和夫』(毎日新聞出版)では松下と稲盛との2人のエピソードが大きなウエートを占めている。

 

 

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