――VRとの出合いや起業のきっかけは。
上路CEO(以下、敬称略) 以前は博報堂で先進テクノロジーを使った新サービス開発に携わり、ロサンゼルスを拠点にアメリカのメディア企業などと新規事業開発を行う傍ら、シリコンバレーなどの最新技術の動向に注目していた。その中でスマートウォッチやスマートグラスなどウェアラブルテクノロジーの可能性を感じ、日本で「Wearable Tech Expo」などのカンファレンスを開催し、主催総監督も務めていた。2013年ごろにVRと出合い、360度を見渡せるのは映像表現の革命だと衝撃を受けた。シリコンバレーで開催される先端テクノロジーのイベントでVRのカンファレンスの参加者が回を追うことに一桁ずつ増えていくのも目の当たりにした。
iPhoneなど全てのデバイスは、アプリ開発者が多いほど盛り上がりを見せる。その点でも、VRはコンテンツ制作者が加速度的に増えており、「VRの時代が来る」と確信した。そのタイミングが2014年の起業と重なったので、VRに特化したサービス展開を事業の柱に据えた。
――VR事業を展開する中で、医療にテーマを絞った。
上路 もともとテレビなど映像関係の仕事をしていたこともあり、最初はエンターテインメント系のVRコンテンツを手掛けていた。例えばアイドルのライブ、タレントを使った自動車会社やビール会社のコンテンツ、内閣府の依頼で観光映像などを制作していた。しかし、VR映像は2D動画の5倍もの労力がかかるにも関わらず、そうした映像は1回しか視聴されないため、採算が合わなかった。
そこで何度も繰り返し視聴されるコンテンツを考え、企業の研修や職業教育などの“トレーニング”に行きついた。当初は造船事業や溶接工場、食品工場など、安全教育や研修を映像化していたが、セミナーに参加した医療機器メーカーからも医療機器販売促進や導入教育などの一環として「名医の手技をVR化してほしい」という依頼が舞い込んだ。2018年11月に発表したのが、日本の医療VRの初事例となった。
――それを機に医療に特化したコンテンツ開発が主軸となった。実際に、どんなコンテンツを提供しているのか。
上路 初の医療VR発表後は様々な病院、医科大学、名医と呼ばれる医師からも直接連絡が相次いだ。素晴らしい技術を持つ医師は、技術の継承に腐心している。例えば、救急医療業界の権威とされる日本医科大学付属病院高度救命救急センター長・横堀將司教授からも直接連絡があり、今ではコンテンツの監修を依頼している。
手術や治療を術者の視点で撮影、編集して映像を作成する。手術の流れをヒアリングし、放射線使用時など立ち会い不可のタイミングなども含めて、綿密な進行表を作って撮影に臨む。カメラが術者には邪魔になることもあると思うが、医師たちは「この手技を残したい、伝えたい」という思いが強く、非常に協力的である。今はカメラが小型化され、精度が上がっているため普及にさらに拍車がかかっている。
――一般的な2D映像ではなくVRで映像を作ることの意味は大きいのか。
上路 普通のカメラ映像は俯瞰したような第三者目線だが、VRは術者本人の視点で360度見渡すことができるのが特徴で、あたかも名医に憑依(ひょうい)したような視野を体験できる。実際にゴーグルを装着して映像を見ると、そこに映っている手が自分の体だと錯覚して思わず手を動かしてしまうほどだ。これは錯覚教育と呼ばれ、臨床体験や実習にきわめて近い体験ができる。
実際に医学生が手術室に臨床実習に入っても、近くで見学することはできず、医師の背中越しに遠巻きにしか術野を見ることができないというケースは多い。ところがジョリーグッドの医療VRを使えば、近くで見るどころか自分が手技を行っているような体験ができ、しかも繰り返し視聴することもできる。それは医学生や実習生だけでなく、医療機器メーカーの営業担当者も同様で、「VRを体験することで初めて顧客に使い方や活用法を子細に説明することができるようになった」と非常に高い評価を得ている。
最先端の機器や技術を公開することは学生や研修医へのアプローチにもなるため、優秀な人材を呼び込むプロモーションツールにもつながっている。
全分野を見放題にすることで活用の幅が拡大
――医療福祉分野で多彩なジャンルのコンテンツを提供している
上路 これまでは「医療VR」「介護VR」「SST(ソーシャルスキルトレーニング)VR」「職業体験VR」「リラクゼーションVR」の5つの分野を展開していた。医療VRのメインはオペクラウドVRで、手術室に360度VRカメラを常設し、医師スタッフが様々な治療をセルフでVR制作できる。多くの学会とも連携しており、救急・外傷系ではこの数年で1500施設以上が導入する計画がんでいる。
SSTでは発達障害者向けにコミュニケーショントレーニングを行う「emou(エモウ)」というサービスを提供し、すでに200施設以上で導入されている。さらにVRを使ったうつ病やADHD、慢性疼(とう)痛などの治療への応用に取り組んでおり、国立精神・神経医療研究センターでも、うつ病患者がVRを体験することで気持ちがポジティブになった事例なども発表している。
――すべてのコンテンツを包括した総合プラットフォームの立ち上げに至った経緯は。
上路 新たな気づきとなる出来事が相次いだのがきっかけだ。連携している日本医科大学付属病院の横堀教授から「救急患者の3割は精神疾患があるので、高度救命救急センターでもSST VRを使いたい」と依頼があった。また、コロナ禍で人工心肺・ECMOのVR監修を担当した済生会宇都宮病院医師、小倉崇以氏からも「今後は看護師などの医療スタッフと連携するチーム医療が主流になる。治療時は他のスタッフの動きを見る余裕がないが、360度を見渡せるVRなら周囲のスタッフの動線や行動を確認でき、施術時の参考になる」と言われ、新たなニーズにも気づくことができた。
さらに超高齢化社会になれば介護施設だけでは限界が来るため、施設と地域が連携する地域包括ケアが促進されている。今まで我々は「医療VRは医療機関や医科大学向け」「リラクゼーションVRは精神科クリニック」「SST VRは放課後等デイサービス・就労支援事業所」と縦割り展開していたが、こうした状況の中では、医療福祉のVRニーズに境界はないと実感した。
そこで、命を守る医療福祉介護従事者に、すべてのプラットフォームが使い放題となるサブスクリプションサービス「ジョリーグッドプラス」の提供を12月2日から開始した。500を超える医療・福祉に特化したVRコンテンツがまとまっているプラットフォームは世界初の取り組みとなる。例えば医療機関では、医療教育に加えて患者のメンタルヘルスケアや自立支援にもVRを使えるし、介護領域では介護スタッフ向け教育だけでなく利用者のレクリエーションにも活用できる。活用の場は大きく広がるはずだ。
(加納美紀)