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坂本龍馬 日本を変えた人脈と交渉力 歴史研究家の安藤優一郎氏に聞く

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 勝海舟の期待超えた活躍

 ――海舟と龍馬は、幅広い人脈と卓越した交渉術が共通しています。激動期の交渉は、AとBの希望を足して2で割る式の仲介では双方とも納得せず、近未来像を具体的に提示できるかどうかがポイントになります。この点で海舟と龍馬は優れていましたが、相違点はあったのでしょうか。

 「海舟は、最後まで徳川幕府に属する組織人でした。先祖が旗本株を買ったという新参者で、ライバルの小栗上野介らから蔑視を受け、自分の企画したプロジェクトは必ず幕府内から反対され潰されました。それでも徳川家への忠誠は捨てられませんでした。浪人の龍馬は、幕末の飛び抜けて優秀な技術・経営コンサルタント的な立ち位置で、自由に活動できました。しかも培った人間関係を次の人脈につなげて活用し、行動範囲を広げていきました。江戸を離れられない海舟が、自分では無理な構想を龍馬に示唆して実現させた面もうかがえます。さらに龍馬は海舟の期待を超えて活躍しました」

 ――船中八策・薩長同盟・大政奉還……龍馬の業績には新たな視点も出てきています。

 「現時点では、船中八策の半分は後世の創作とする説が有力です。薩長同盟では、龍馬は中立公正な仲介者というより薩摩側のエージェント的な立場でした。当時最大のクライアントが薩摩藩でした。大政奉還も土佐藩の後藤象二郎の働きがより大きかったといえます。ただ龍馬の人脈と信用が加わって、これらを実現させたという点は見逃せません。龍馬はクライアントの期待に応えつつ、自らのビジョンを実現しようとしました」

 新時代のための人材残す

 ――織田信長の「天守閣の城」「楽市・楽座」を連想させますね。どちらも信長のオリジナルではない。しかし信長が採用したからこそ、日本全国を駆け巡りました。なぜ龍馬は暗殺されたのでしょうか。

 「大組織である幕府の、本社の江戸城と出先機関の京都現場の肌感覚の違いがありました。龍馬を『何かのときに使える』とみていた幕閣もいました。しかし京都で日々の政争に対応する会津藩や見廻組、新選組にとって龍馬は、自由奔放に対立勢力を拡大させる宿敵としか見えませんでした」

 「龍馬は、明治新政府で最初に事実上の財務大臣を務めた、越前藩士の由利公正を推薦していました。日清戦争を取り仕切った外務大臣の陸奥宗光は、海援隊で竜馬の腹心でした。龍馬自身は30代前半で人生を終えましたが、新時代のための人材を残して去ったともいえます」

 (聞き手は松本治人)

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