BizGateリポート/経営

渋沢栄一のリーダーシップ 源泉にお節介とかわいげも 北康利氏に聞く

記事保存

日経BizGate会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。

 「日本資本主義の父」渋沢栄一(1840~1931年)への関心がビジネス社会で引き続き高い。岸田文雄首相が目指す「新しい資本主義」も渋沢の唱える「合本主義」の中にあるだろう。約470企業もの設立にかかわり、近代日本で経済界のけん引役を務めた渋沢のリーダーシップを、『乃公(だいこう)出でずんば 渋沢栄一伝』(KADOKAWA)の著者、北康利氏に聞いた。

 公益の追求に適した人材と資本を集めて事業を推進

 岸田首相は自民党総裁選に初立候補した2000年に渋沢の「論語と算盤(そろばん)」を取り上げ、21年の自著でも「公共を含んだ幅広い関係者への利益還元と幸福を追求する資本主義のあり方を提唱した」と記述した。岸田内閣が立ち上げた「新しい資本主義実現会議」には渋沢の子孫である渋澤健氏も参画している。資本主義という言葉をあえて避けた渋沢の「合本主義」には、公益の追求に適した人材と資本を集めて事業を推進するという考え方が込められているという。株主だけでなくすべての利害関係者への貢献を目指すステークホルダー資本主義に通じそうだ。

 北氏は、渋沢のリーダーシップの源泉を①強烈な自負心②お節介なまでの親切心③周囲から許されるかわいげのある人間性――の3点から考察している。もちろん、最も大きな原動力は自らに課した使命感だ。北氏は「経営学者のドラッカーが指摘したように、経営の本質は『責任』だということを渋沢は見抜いていた」と語る。

 渋沢は豪農の嫡男、藍染め素材の商人、尊皇攘夷の過激志士、一橋家の家臣、幕臣、パリ駐在、明治新政府の大蔵次官(現・財務省)、民間の経済人――とその歩みを進めてきた。北氏は「青年時の尊攘運動から、晩年の日米民間外交や関東大震災の復興まで90歳を過ぎても現役だった。『オレがやらねば誰がやる』という強烈な自負心を最後まで持ち続けた」と話す。

 渋沢が「日本資本主義の父」と呼ばれる理由は、多くの企業を立ち上げたからだけではない。大蔵官僚時代に為替制度、銀行制度、証券取引所、商工会議所など現在も続くビジネスのさまざまなプラットフォームを構築したからだ。「農民出身で(敗者側の)旧幕臣と見下す藩閥出身の官僚を、渋沢は冷静にかわして制度設計を進めた」と北氏。

 渋沢は名誉に淡々とした聖人君子タイプではなく、自己顕示欲も人一倍持ち合わせていた。北氏は「確認できるだけでも、生前に11体もの銅像が建立された。渋沢は『また雨ざらしだ』とこぼしながらも、申し出を断らなかった」としている。ただ私欲はほとんどなく、子孫にも僅かしか財産を残さなかった。太平洋戦争後に日本を占領したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が三井家、三菱家などとともに渋沢家を財閥指定しようとした時「渋沢一族の資産の少なさに、GHQ担当官が笑い出したというエピソードも残っている」(北氏)。

 

 

閲覧履歴

    クリッピングした記事

    会員登録後、気になる記事をクリッピングできます。