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チャーチルと近衛・東条 明暗分けた組織力とスピード感 太平洋戦争開戦80年(下) 戸部良一・防衛大名誉教授に聞く 

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 太平洋戦争開戦から80年たった。米英と日本との格差は、軍事力や経済・産業力だけではなく、日本は組織力の点でも後れを取っていたとの研究が進んでいる。防衛大学校の戸部良一・名誉教授は「英国ではチャーチル首相の決定が、政治と軍事の統合を基盤とし政治優位でなされるようシステム化されていた。日本もそうした政軍統合の戦争指導体制が整備されていなかった」と指摘する。英チャーチルと同時期の近衛文麿、東条英機両首相との違いを追った。非常時にリーダーシップを機能的に発揮させるにはどういう組織が必要か。現代企業の組織運営にもヒントになりそうだ。

 「討論による独裁者」チャーチル 政略と軍略を統合

 ――チャーチルが英国首相に就任したのは1940年5月でした。前年9月に勃発した第2次世界大戦はドイツ有利に展開し、英の同盟国であるフランスの降伏直前に、国のかじ取りを任されました。

 「チャーチルが最初に手掛けたのが『国防大臣』を新設し、自らが就任したことです。国防省は存在しないので大臣というポストを設けただけです。政治優位の立場から政略と軍略を統合させる狙いでした」

 「国防相の下には帝国(陸軍)参謀総長、海軍軍令部長、空軍参謀総長の3人から成る三軍幕僚長委員会を直属させました。この委員会は毎年400回以上開催しました。1日に2回開くこともあったわけです。特に42年には573回に達しました。下部スタッフ組織として作戦、情報、兵站(へいたん)と3つの三軍統合委員会も設けられていました。軍中央のトップのみならず中堅幕僚層でも統一化が進み、チャーチルを補佐したわけです」

 「戦時内閣は首相を含む数人で構成しました。ただ英歴史家のA・J・Pテイラーは『戦時内閣がなにかを始めることはめったになく、チャーチルの意見を退けることはもっと稀(まれ)だった』と記しています。チャーチルは『討論による独裁者』とも言われました」

 ――チャーチルへの大変な権力集中です。成熟した多元的民主主義と評価される英国でよく可能でしたね。

 「英国には第1次世界大戦の前半を担当したアスキス内閣(08~16年)時の苦い教訓がありました。問題に直面するたびにそれを担当する委員会を立ち上げたため、会議が多くなりすぎてスピード感ある決定・実行ができなかったのです。チャーチルは独裁的な権力を手中にしましたが、戦時のみとの暗黙の了解がありました」

 「チャーチルは軍人と議論するとき、英議会でのディベート方式を持ち込み、とことん軍幹部を質問攻めにしました。最後は音を上げて恨み言を記した将軍の日記も残されています。ただチャーチルは納得すれば、問い詰めた軍人の意見を採用します。また『Action this day』がチャーチルの原則でした。英国の機能的な戦争指導体制を実見して、米国も後に取り入れました。統合参謀長会議を設立し、その下部組織に三軍統合委員会のシステムを作り上げました」

 

 

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