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日米開戦 なぜ避けられなかったのか 太平洋戦争開戦80年(上) 井上寿一・学習院大教授に聞く 

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 日本、自らのポジション判断できず

   ――その米国との戦争が不可避となった直接の原因は、日独伊三国同盟(40年)とされます。

 「独伊との提携で日本の外交ポジションが強くなり、米国を交渉のテーブルに着かせることに成功しました。日米交渉を促す効果はあったのです。しかし翌年6月の独ソ(現・ロシア)戦開始とフランス領インドシナ(南部仏印)への進駐が分岐点になりました。ドイツがソ連との新しい戦争で消耗すれば、結果的に日本の外交ポジションは低下し、インドシナ半島南部からは米国の拠点であるフィリピンへの空爆が可能になります」

  「その後も戦争回避の可能性はギリギリまで残っていたとみるべきです。中国からの全面撤退を要求した11月のハル米国務長官の『ハル・ノート』で、東条英機内閣は戦争を決意しました。それでも『ハル・ノート』には回答の期限が付されていなかったのですから、交渉を続ける余地はあったのです」

 ――日本側から戦争を仕掛けさせるために、米側は真珠湾計画を承知の上で、わざと攻撃させたという説もあります。

  「具体的な根拠を欠く『陰謀論』です。米側が日本海軍の暗号を解読できるようになったのは翌年春です。真珠湾に向かった連合艦隊は無線を封じており、傍受も不可能でした」

  「日本単独の力では、新しい国際ルールの構築は不可能でした。それならば対米関係の調整を通じて、戦争回避を目指すべきでした。関係悪化後も、国際情勢と自国のポジションを冷静に判断して、最後まであきらめずに交渉すれば、破局は避けられたでしょう」

 (聞き手は松本治人)

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