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織田信長を天下統一に導いた「連鎖するイノベーション」 藤田達生・三重大教授に聞く

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 「イノベーションを起こせ!」が企業社会の合言葉となって久しい。しかし、掛け声だけでは世界を劇的に変える製品は生まれない。ヒントは歴史の中にありそうだ。16世紀に起きた鉄砲伝来(1543年)という破壊的イノベーションを徹底的に利用したのが織田信長だ。鉄砲を起点に軍事技術から新兵器開発、弾薬の原料を輸入する国際サプライチェーン、国内流通網の整備、領土の統治(ガバナンス)のあり方まで、連鎖的にイノベーションを起こして天下統一への道筋を切り開いたという。三重大学の藤田達生教授に聞いた。

 いち早く国産化 「鉄砲の大量配備・大量使用」がカギ

 鉄砲は種子島に漂着したポルトガル人が伝えたとする「鉄砲記」の記述が一般的だ。一方で、倭寇がマラッカなど東南アジアで使用した火縄銃を伝えたとする分析や中国人密貿易商人が介在したという説まで、近年では議論が活発化している。

 藤田教授は「重要なのは、きわめて短時間で鉄砲の国産化が始まったことだ。優れた日本刀の鍛造技術を生かして先行組の中国・朝鮮を追い抜き、アジアで最速、しかも高品質だった」と話す。活用法も欧州が一斉射撃による「弾幕」戦法が主流だったのに対し、日本は相手を狙い撃つ技術を磨いたとされる。鉄砲鍛冶が作り、砲術師が教え、武器商人が売る――。永禄年間(1558~70年)には本格的な国内普及が始まった。

 この時期に台頭したのが、1568年に上洛して畿内を制圧した信長だった。それまでの合戦の勝敗には戦術の巧拙や運・不運がつきものだった。押したり引いたりで戦いの決着に時間を要する一方、兵糧確保などで長期の滞陣にも限界があった。しかし、「鉄砲を大量に配備し大量に使用する信長の軍事イノベーションが、技術的に勝つべくして勝つ戦争計画を可能にした」と藤田氏は指摘する。城攻めでも相手の周囲に多数の城塞を設置・移動しながら包囲網を縮める「付城」戦法が主流となった。「番匠(大工)・鍛冶・鋳物師・金堀りらを動員し、信長は合戦を大規模な土木工事に変えてしまった」(藤田氏)。

 

 

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