天下人たちのマネジメント術

暴君・パッシング・革命児 信長再評価の450年 呉座勇一・信州大特任助教に聞く

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 織田信長の革新性、豊臣秀吉の人心掌握術、徳川家康の深謀遠慮――。天下統一を目指した3人への関心は今日でも高い。生き残り競争の激しい戦国時代を勝ち続けた、より抜きの武将だけに、現代のビジネス社会に役立つマネジメント術も学べそうだ。ただ、天下人としての評価は近世から近現代と時代によって大きく変わってきたという。信州大学の呉座勇一・特任助教に聞いた。

 「強いが人徳がない」信長は秀吉の脇役扱い

 本能寺の変(1582年)から現代まで約450年。信長への評価はジェットコースターのように礼賛と批判を行き来した。呉座特任助教は「江戸時代の信長は『暴君』として語られてきた」と話す。強い武将だが人徳はなく、明智光秀に裏切られたのも自業自得というわけだ。江戸中期の儒学者で幕政にも参画した新井白石らが説いたという。「家康より偉大な人物は困るという『徳川史観』が背景にあった」と呉座氏は語る。

 近代に入っても信長の評価は高くない。明治40年(1907年)に雑誌「日本及日本人」が島崎藤村や幸田露伴ら著名な作家、歌人、宗教家ら120人に好き・嫌いな歴史上の人物をアンケート調査した。「好きな人物の1位は秀吉20票、2位が楠木正成11票で信長は1票だった」と呉座氏。しかも秀吉・家康と3人併記の中での得票。ここまでくれば、バッシングならぬパッシングだ。信長は、人気抜群の秀吉を登用したという脇役にすぎなかった。

 信長評が一変するのは、大正期にジャーナリスト・徳富蘇峰が信長の革新性を取り上げてからだ。鉄砲の連射や関所の撤廃などを高く評価した。ただ「蘇峰が最も注目したのは、鎌倉・室町と続いた幕府政治を終わらせ朝廷を重視した勤皇家としての信長だった」(呉座氏)。皇室中心を提唱する蘇峰は、自分に都合のよい英雄像をつくり上げたとも言える。呉座氏は「軍国主義が強まる中で、東大の田中義成教授らのアカデミズムも、革新者かつ勤王家の信長のイメージを後押しした」と話す。

 権威に挑戦するイメージ、「国盗り物語」「下天は夢か」で頂点に

 戦後の信長像は作家の坂口安吾から始まった。信長を骨の髄までの合理主義者だったと捉えた。すでに戦前の勤王家像は消えていた。さらに「高度成長期の『国盗り物語』(司馬遼太郎、1963~66年連載)が決定的な影響を与えた」と呉座氏はみる。

 国盗り物語では、信長を日本史上まれな、明確な意志を持った革命児と位置づける。呉座氏は「革新性の評価だけでなく残虐性への批判もあわせ、光と影が同居する信長像を確立した。戦後歴史学の成果を巧みに小説に取り込んだ」と分析する。 

 既成の権威に挑戦する「革命家・信長」のイメージをさらに極限まで進めたのが「下天は夢か」(津本陽、86~89年連載)だと呉座氏。絶頂のバブル経済を背景に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言いはやされ、日本企業の海外進出が隆盛を極めた時代と重なる。一方で、最近の信長研究は既存のシステムを根こそぎ否定するのではなく、既得権者と折り合いをつけ漸進的な改革を進めていったとする傾向が顕著だ。「等身大の信長像を見極める作業は始まったばかりだ」(呉座氏)という。

 時代の理想像反映し続けた秀吉、家康は典型的な悪役人気

 秀吉は「こうありたい」という各時代の理想像を反映し続けたという。アンチ秀吉である徳川幕府の治世下でも庶民のヒーローという立ち位置は変わらなかった。特に明治期からは「立身出世・勤王・海外雄飛」という3点セットで仏ナポレオンに比肩する武人とまで高い評価を受けたという。戦後は晩年の朝鮮出兵が批判の対象となった。しかし、ここでも司馬遼太郎が一役買った。「各地域の自給自足経済圏を解体し、日本経済をひとつにすることを目指す経済人・秀吉を提示した」と呉氏。ただ墨俣(すのまた)の一夜城や名軍師・竹中半兵衛の招請、稲葉山城(現・岐阜城)攻略など「人たらし」と言われた数々の人心掌握の逸話は史実ではないという。現代の小説家でも、全くの空想からではエピソードはつくれないから、何らかのヒントや伝承はあっただろう。しかし「多くの秀吉神話は江戸時代の創作だ」(呉座氏)。

 家康は「日本及日本人」のアンケートで好き部門3位、嫌い部門1位。ファンは多いがそれ以上にアンチが多い、典型的な悪役の人気傾向だ。晩年に無理難題をふっかけて豊臣秀頼を滅ぼしたとされる「大坂の陣」で醸成されたタヌキおやじのイメージは現在でも根強い。

 戦後に新しい家康像をふき込んだのが作家・山岡荘八の「徳川家康」だ。山岡は太平洋戦争の反省にたち、約250年の天下太平という平和の実現者として描こうとしたという。「一方で1950~60年代の『経営学ブーム』で経営者必読の書、社長さんの虎の巻として注目を集めるようになった」と呉座氏は語る。三河武士の家臣を何よりも大事にする生き方が終身雇用・年功序列といった家族主義的な日本型経営の理想像とみなされたという。近年では「何が何でも秀頼を滅ぼすという意図は家康になく、豊臣家の存続は可能だったという研究が歴史学から示されている」(呉座氏)。

 長期化するウクライナ危機や収束しない新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な大流行)で、ビジネス社会の先行き不透明感はますます強くなっている。こうした時代にあって、過去の歴史から学ぶ姿勢は有効にみえる。呉座氏は「小説などのストーリーをうのみにするのではなく、史学的な検証も参考にすれば、歴史からさらに多くの教訓が引き出せるだろう」と話す。有名なエピソードが創作にも関わらず、なぜ語り継がれてきたのかを考察することは、ビジネス眼を養うことにもつながる。ちなみに有名な家康の人生訓「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず」は後世につくられたという。

 (松本治人)

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