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由利公正、渋沢栄一……明治維新が生んだ「プロ経営者」

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 明治維新は、出身母体や身分の垣根を超え、業種を問わず組織を運営し利潤をもたらす「経済人」を創出した。2021年の今日まで続く「プロ経営者」の第1号は坂本龍馬が推し、西郷隆盛が全幅の信頼を寄せた由利公正(1829~1909年、三岡八郎、越前藩士)だ。財政がひっぱくした明治新政府の経済政策を一手に引き受けて戊辰戦争の資金を調達し、東京府知事なども歴任した。続いて渋沢栄一(1840~1931年、幕臣、豪農の子息)がパリから帰国後に徳川家(静岡藩)で手腕を発揮。後に明治政府にトップハンティングされ、さらに民間で500以上の企業を立ち上げた。明治初期の経営マインドを追った。

坂本龍馬が推薦し、西郷隆盛が信頼した由利公正

 龍馬は1867年(慶応3年)末に暗殺される直前の手紙で「由利を福井から上洛させ、新政府の財政担当とすることを希望する」と書き送った。龍馬は以前から何度も福井に足を運んで由利と議論を交わしていたという。西郷や岩倉具視も由利を歓迎した。歴史研究家の安藤優一郎氏は「由利は横井小楠(1809~69年)の唱えた思想を具体化した最優秀の弟子だった。横井は幕末期のオピニオンリーダーで勝海舟や西郷、龍馬らが高く評価していた」と話す。

 横井小楠は民力を重視して「民富めば国富む」と日本流の国富論を説き、由利は机上論にとどまっていた横井経済学を実践。借金漬けだった越前藩の経済を立て直してみせた。安藤氏は「由利は産物会所(総合商社的な機能)を設け、藩札を発行して輸出する地場の生糸生産者らに貸し付けた。長崎や横浜にも拠点を設けた」と言う。海外市場拡大による産業振興と通貨増発の景気刺激策が成功の秘訣だった。

 大政奉還に続いて竜馬暗殺、王政復古。その約1カ月後には戊辰戦争に突入したものの、明治政府は財政的な基盤が全く弱かった。戦闘開始直前に、敵方であるはずの徳川慶喜に献金を要請し「錦の御旗」の制作費も節約したほどだ。後に江戸城明け渡しを達成した西郷も「兵力が足りても資金が無ければ東北地方へは出兵できない」と大久保利通に苦境を訴えた。

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