BizGateリポート/経営

自民党総裁選 ビジネスにも通ずるエピソード

記事保存

日経BizGate会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。

 次期首相に直結する自民党総裁選が17日にスタートし、前政調会長・岸田文雄、前総務相・高市早苗、行政改革相・河野太郎、幹事長代行・野田聖子の4人が立候補する。最近は大本命の候補がすんなり選ばれるケースが多かったが、データ的には初挑戦で当選する「現役組」よりも1度は苦杯をなめた「浪人組」の方が、政権期間は長い。肝心なのは志を深く長く持ち続けることかもしれない。初代総裁の鳩山一郎から現首相の菅義偉まで、現代のビジネスパーソンの参考になりそうなエピソードをまとめた。(文中敬称略)

敗北の経験がある総裁の方が政権は長持ち

 「男は1度勝負する」と総裁選に立候補したのが1968年の三木武夫(名セリフだが、当時は男女の性差への意識が薄くもあった)。3選が確実視されていた佐藤栄作に対し外相を辞任して挑んだ。1回のはずだったが、その後も挑戦を続け計3回敗退。74年の副総裁・椎名悦三郎の「裁定」という思いがけない形でトップの座を射止めた。さらに上手はいるもので、副総理兼財務相の麻生太郎は4回目の総裁選出馬で宿願を果たした。3回も4回も挑戦できるのは、ある意味実力のある証拠といえる。政治力、気力・体力、周囲の期待度などが続かなければ不可能だからだ。ジャンルは異なるが将棋の米長邦雄・永世棋聖は7回目の挑戦で名人位に就いた。しかし、それ以前から名人と同格の評価を受けていた。

 投票による自民党総裁選に初挑戦で勝利したのは2代・石橋湛山から現首相の菅まで11人で政権期間は平均2年7カ月。歴代最長で再登板も果たした安倍晋三を外すと平均2年を下回る。敗北を1回以上経験した後に総裁に就任したのは岸信介、佐藤、三木、福田赳夫、大平正芳、中曽根康弘、小泉純一郎ら9人で平均3年4カ月。さらに事実上の話し合いなどで選出された現役組は初代・鳩山、鈴木善幸、森喜朗らで平均1年2カ月だった。最大派閥を率いていた竹下登も、投票での総裁選は経験しなかった。長ければ良いわけではない。しかし中・長期的な経済政策や各国との首脳外交では、ある程度の任期はあった方が良いかもしれない。

 長期政権が予想されていたのに、途中で降板したのが田中角栄。田中は初挑戦の1972年に激しい「角福戦争」を制した。その前に総裁任期を1期3年と党則改定しており、54歳の田中は当時最年少記録の総裁だ。72年の総選挙で議席を減らし、74年の参院選で保革伯仲にまで追い上げられたが、田中を支える主流派は逆に増えており、再選は確実視されていたという(「政変」毎日新聞政治部著)。しかし金脈問題を追及され2年5カ月で退陣した。

派閥のガバナンスが効かなかった1964年総裁選

 今回は各派が候補を一本化できず自由投票が多い。派閥全盛時代なのに、ガバナンスが効かなかったのが1964年の総裁選。現職の首相・池田勇人は早々に各派の支持を取り付け必勝態勢を敷いた。しかし挑戦者の佐藤は各グループに、ひそかに自分を支持する「忍者」を増やして猛追した。池田派内にさえ忍者が存在したという。元外相の藤山愛一郎も含めた3人の争いは、異なる2派からの働きかけを「ニッカ」、3派からは「サントリー」、あちこちの派閥から工作を受けるのを「オールドパー」と称したという。洋酒がもてはやされた高度成長時代をしのばせる。結果は過半数を上回ること4票の僅差で池田3選。圧勝を期していた池田は自民党の長老から「一輪咲いても花は花」となぐさめられたという。池田は病気にかかり、3カ月半後の東京オリンピック閉会式の翌日に退陣表明した。話し合いで決まった後任総裁・首相は、ギリギリまで池田に迫った佐藤だった。

閲覧履歴

    クリッピングした記事

    会員登録後、気になる記事をクリッピングできます。