楽しい職場学

安心して「ボケ」られるか? 良い職場の条件に 西武文理大学サービス経営学部専任講師 瀬沼文彰

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面白さよりも「共有」の意識

 個人的な体験だが、家族でカナダのバンクーバーの旅行に行った際、帰国するためスーツケースを引きずってエレベーターに乗った。乗り合わせた70代の女性が、「そんなに大きな荷物を持ってどこに行くの?」と語りかけてきた。「日本に帰るんです」とこたえると、「日本?それは遠いフライトね」と言い、「どれくらいかかるの?」とたずねられた。答えようとするやいなやその女性は「当てさせて!」と言ってきた。そして、ゆっくりとしたスピードで「三日間くらい?」と言い放った。笑顔で、「これは冗談ですよ」が分かる表情を用いて。妻と私が「そんなにかからないよ」と笑うと相手もジョークが通じたと安心したようでエレベーター内は笑いに包まれた。とっさに、「そんなにかかってしまう世界ならこのエレベーターも1階降りるのに30分かかってしまいますよ」と言い返してみたところ、その女性はとても笑ってくれた。

 いずれの笑いも大げさにしただけだ。私の返しはその女性に乗っかってみただけだ。テレビで披露するような笑いではないし、活字で読んでも大笑いするものではないだろう。しかし、その日、そのとき、エレベーターという空間のなかで私たち家族とその女性との間には冗談の世界が共有され、笑いが生まれた。女性の冗談は、狭い空間のなかでの私たちへのちょっとした気遣いや旅行者へのおもてなしだったのかもしれない。あるいは、エレベーターという狭い空間内で信頼関係を作るために笑いが活用された可能性もある。ここでは、面白いかどうかという問題や笑える冗談だったかどうかという問題は重要ではない。笑いを介して見知らぬ者同士がコミュニケーションをして何か共有しているものを分かりあえたことに価値がある。

 日本では、笑いは面白いか面白くないかにウエートがおかれがちだ。だが、それ以外にも、笑いは、生活や人間関係のなかで活用していくべき時代に突入している。

 それは、多様性への適応が求められる社会であればなおさらだ。だから、多民族国家では、典型的な笑いを用いて、歓迎している、敵意がないなどを伝えたり、他者との距離感を調節したりする。身内ウケ、キャラクターを理解してから笑いが生まれる傾向のある日本の社会からしてみれば、「典型的な冗談は面白くない!」と一蹴されてしまいがちだ。しかし、笑いを用いることで、自分の感情を暗に伝えたり、敵意がないこと、好意や歓迎を伝える、人間関係の距離を近づける、信頼関係をつくるなどのことができる。こうしたメリットをふまえれば、多様な人とコミュニケーションをしなければならない時代に、笑いは、人間関係の潤滑油で必要不可欠なものだと多くの人が認識しなおしたほうがいいのではないだろうか。

 また、誰かの言った冗談は笑えなくても、それをフォローすること、ジョークにジョークで返してみることで両者が実際に面白くなることは多い。すべてを自己責任に押し付けてしまうコミュニケーションの考え方も再考する余地があるはずだ。

正論はたたかれないが、非クリエーティブ

 次に、「芸人的なボケ」よりももっと広い意味の「ボケ」について論じてみたい。その広い意味では「ボケ」とは、ふつうとは違うこと、期待されていることとは違うことを言ってみるという意味である。

 今の日本社会は、正論の時代だと思う。正論をかざしていれば誰からもたたかれにくい。正論を主張すれば自分が批判されることは少ないだろう。しかし、誰もが正論の方向に向かってしまっては、クリエーティブな発想は出てこない。クリエーティブな発想はいまの日本にもっと必要なはずだ。そうした発想は、皆が期待する当たり前からズレる発言や意見であることが多い。

 クリエーティブな業界でも、出てきたアイデアは、初めの段階では、圧倒的に没ネタのほうが多い。元芸人としてもそう思う。(一部の天才といわれる人は異なるのかもしれないが……)一般論でいえば、クリエーティブな発想は、たくさんの意見のなかから生まれてくる。また、他者のユニークな発言に対して、余裕を持つことも重要だ。余裕がないと出てきたアイデアにプラスアルファを加えてブラッシュアップできないからだ。

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