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コロナ禍、渋沢栄一ならどう対処したか

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関東大震災で示した渋沢の危機への対処法

 「渋沢、今ありせば……」と具体的に予想が立てられるのは、さまざまな危機に直面した時の、渋沢の行動に関する木村氏自身の研究が下敷きになっている。その対処能力がきわめて効果的に発揮されたひとつが、関東大震災(1923年)の渋沢だと木村氏は指摘する。当時83歳、自らも被災者だった渋沢は震災翌日の9月2日には食糧供給やバラック建設を政府や東京市(当時)に提言し、米穀の代金を自ら支払って調達の手配を進めた。9日には経済界の有力者ら約40人に「民」の立場からの救護と復興の新組織を提案し「大震災善後会」の発足につなげたという。

 渋沢は長年培ってきた国際的な人脈を活用した義援金募集も進めた。1906年のサンフランシスコ地震の際に、渋沢が中心となって世界中で最も多額の義援金を米国へ送っていた。木村氏は「米国の鉄鋼、金融業界などが中心になって予想を上回る巨額の義援金や救助物資が日本に届いた」と話す。

 中長期的には山本権兵衛首相をトップとする「帝都復興審議会」の委員に就任。政府の審議会に入るのは明治政府から辞職して以来、これが初めてだった。渋沢は横浜を外港、東京を内港として整備し、運河で結んで商業を発展させようというプランを示した。木村教授は「大蔵省の復興予算の縮小などで日の目を見なかったが、第2次世界大戦後に渋沢の構想に近い形で首都圏のインフラ作りが進んだ」と話す。

コロナ時代に味わい「論語と算盤」

 渋沢の著者「論語と算盤」には、コロナ禍での活動自粛やオンライン化・非接触化が進む現在のビジネスパーソンにとって役立つ言葉もちりばめられているという。そのひとつは「知恵を持ち、なおかつ無邪気であれ」というものだ。無邪気という言葉には、素直で飾り気のない性格という意味。知恵があるからといっておごり高ぶり、人を圧倒して従わせることを戒めている。木村氏は「IT革命の進展で最新技術のノウハウを会得していても周囲と協調しなければ結局ムダになる」と解説する。

 「親不孝は親のせい」も現代風に捉え直すと含蓄があると木村氏は言う。親孝行を強要するとかえって子は反抗するようになるという現実的な見方だ。木村氏は「親がいつまでも指図すると子供は反抗的になる。渋沢の父親は栄一が18歳ごろ『思い通りにやれ』と背中を押したという」と話す。リモート勤務でより細かく部下を管理したがる上司に推薦したいと、木村氏は語っている。

(松本治人)

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