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本能寺の変 信長の死角は「ガバナンス軽視」 本能寺の変を読み解く(下)

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 本能寺の変(1582年、天正10年)に関する研究が進んでいる。織田家のナンバー2だった明智光秀は、新しい人事政策や担当分野の政策転換などで追い詰められ、謀反しようとする主君を家老の斎藤利三が強力に支援した。企業のトップ解任に通じる造反劇の経緯を追った。

トップ解任を実現させるのは実務メンバー

 三越・岡田茂社長の解任(1982年)、関西電力・芦原義重名誉会長の退陣(87年)、住友銀行・磯田一郎会長の引退(90年)、フジサンケイグループ・鹿内宏明議長の追放(92年)……カリスマ的な経営者が、取締役会の緊急動議などで失脚させられるケースは少なくない。21世紀に入ってからも、百貨店業界の名物社長が、不本意な辞任を余儀なくされた事例があった。ただトップ交代を成功させるエンジン役は根回しなどを担当する実務メンバーだ。次期社長や解任動議の発案者ではなく、もっと下位の役職者らがカギを握る。

 三越・岡田社長の解任へ向けて最初に動いたのは、代表権を持つ常務だったとされる。住友銀行で部長会の意見をとりまとめ、「磯田引退」へ巽外夫頭取(当時)の背中を押したのは、西川善文常務(後の頭取)だったと、同氏が自著で述べている。トップとの人間関係が近すぎず、中堅層の考えも取り入れられる立ち位置の方が、組織の問題点や弱点が見えるのかもしれない。

京都市内に拠点、情報を把握していた光秀

 本能寺の変では斎藤利三が実務を担った。歴史研究の桐野作人氏は「利三は変事前夜の亀山城での謀議に参加し、先陣として本能寺を攻め、信長の供養という名目で寺社への献金を取り仕切った」と指摘する。明智軍団のエンジン役だ。戦国時代に、優秀な腹心が主君の意思決定を左右する例は少なくない。例えば光秀の前に信長へ造反した荒木村重だ。謀反を疑われた村重は、信長への弁明のために安土へ向かう途中、与力大名の中川清秀に「今さら弁解しても信じてもらえず、安土で処罰されるだけ。いっそ謀反に踏み切った方が良い」と説得されたという。そのまま本拠地に帰って籠城した。

 桐野氏の著書「本能寺の首謀者はだれか」(吉川弘文館)では、最終的な決断を2日前と推測している。その日がわずかな家臣団を連れて本能寺に入った当日だからだ。京都市中に光秀と家臣らは屋敷を所有しており「手薄な警備の状況は容易に把握でき、確実に信長を打倒できるという確信を得たはずだ」と桐野氏はみる。利三が光秀に報告したのかもしれない。

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