BizGateリポート/経営

本能寺の変 光秀を決起させた「転職エグゼクティブ」 本能寺の変を読み解く(上)

記事保存

日経BizGate会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。

 トップ解任――。本能寺の変(1582年、天正10年)は、440年前の「カリスマ経営者」追放劇だ。絶対的な権力者を強制的に交代させる際、成否を分けるのは次期リーダー本人よりも、腹心や協力者の働き次第というケースが少なくない。現代の企業社会ならば取締役会での事前の多数派工作、戦国時代ならば反対派を圧倒する戦場の指揮がポイントとなる。明智光秀の決起を促したとみられるキーパーソンが、家老の斎藤利三だ。一般には知られていないが軍事、行政、外交に優れた手腕を発揮した「エグゼクティブ転職組」だった。最新の史学研究などから真相を探った。

「黒幕説」はほぼ否定、光秀単独説が有力に

 豊臣秀吉、徳川家康、足利義昭(15代将軍)、近衛前久(前関白)、朝廷、キリスト教イエズス会――。本能寺の変に関しては、光秀が外部から使嗾(しそう)されたという「黒幕説」がついて回り、何らかの形で疑われた人物・組織は多い。しかし歴史研究家の桐野作人氏は「21世紀に入って史料に基づいた研究が進み、黒幕説はほぼ否定されている」と話す。桐野氏は心理的に信長に追い詰められた光秀と、明智家中ナンバー2の斎藤利三が企画・実行したとみる。当時の公家の日記には「日向守内斎藤蔵助、今度謀反随一也」とした記述が残っているという。本能寺の変直後から首謀者のひとりとみられていた。

 斎藤利三は信長と同世代。桐野氏は「明智家に迎え入れられる以前は、織田家に属した西美濃三人衆・稲葉家の客分格だった。四国・三好家や美濃・斎藤家に仕えた可能性もある」という。武勇で知られた存在だった。蒲生氏郷(後に会津92万石)とのエピソードなどが伝えられている。氏郷は若い頃の戦場で、利三のアドバイスに従って大きな戦功を立て、信長の目に留まったことが出世のきっかけとなった。

 戦国時代は産業・技術革命の時代でもあった。軍事面では鉄砲が量産され、攻城戦に鉱山技術や土木工法が応用された。利三は現代のIT技術者のように引く手あまただっただろう。「活躍できるより大きな舞台を求めて、最終的に明智家へ移ったのではないか」と桐野氏は推測する。戦場の指揮だけではなく、行政面でも領国内の重要拠点である丹波・氷上地域を担当した。

閲覧履歴

    クリッピングした記事

    会員登録後、気になる記事をクリッピングできます。