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コロナ下の映画作り スピード感と緻密なシナリオで 「大コメ騒動」の本木克英監督に聞く

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木下恵介監督から学んだ「人々の姿を描く」手法

 ――本木監督自身は「大船松竹」で映画製作に従事した最後の「撮影所育ち」ですね。1987年に松竹に入社し、助監督を経て1998年に監督デビューです。2017年に独立しました。

 「学生時代から自主映画を作成していた芸術肌タイプではなく『社員監督』です。バブル入社世代でもあります。金融、商社、外資系企業と片端から入社試験を受け、数社から内定をもらいました。1987年は松竹が17年ぶりに助監督を募集しており、映画好きだったためこちらも受けたら通りました。親族や友人らからは『才能があるかないかだけを頼りに仕事を決めるなんて』とあきれられました」

 ――松竹で監督に昇格するにはオリジナル脚本が書けないとムリだそうですね。

 「シリアスな社会派監督を希望して何十本も脚本を書きましたが、どうしても上層部が『面白い』と言ってくれない。思い切って娯楽作品を手掛けたら認めてもらいました。求めるものより求められるものを撮影するのが作風になりました。芸術型ではなく職人型のディレクターだと自分を規定しています」

 ――助監督から監督に昇格するまでにプロデューサーを2年間勤めています。

 「監督が作品の完成レベルに全責任を持ちコアな部分を深掘りするクリエーターならば、プロデューサーはビジネス上の成功を目指し全体を俯瞰する立場です。現在も監督を続けられているのは、プロデューサーの経験が大きいと考えています」

 ――これまでの映画製作を通じて心に残る人は誰でしょうか。

 「助監督として師事した木下恵介監督でしょうか。個人的には黒沢明監督に匹敵すると思います。映画は短歌や俳句と似た一面があり、何度も編集を重ね削れば削るほど良くなっていくということを身をもって教えてもらった監督です」

 「映画はメッセージを押しつけるのではなく、人々の姿を描く中で観客に感じ取ってもらうものだということも学びました。木下監督の代表作のひとつである『二十四の瞳』は戦時中を描いたにもかかわらず戦闘シーンが出てきません。先行きが見通せずみなが不安を抱える時代だからこそ、そうした作品が人々の心に残るのではないでしょうか」

(聞き手は松本治人)

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