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1000年企業「村上水軍」 コロナ時代の中小経営の羅針盤 園尾隆司・事業再生研究機構理事に聞く

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信長の天下統一戦では敵味方に分かれ戦う

 「15~16世紀の能島村上水軍当主である村上雅房は、3島村上、河野、忽那、塩飽の6水軍を連携させて、瀬戸内海全体における通関銭の徴収体制を確立した名君でした。しかし制圧して配下に収めるのではなく、各自の独立性を尊重しつつ、連携を長く続けるバランス感覚が傑出していました」

 ――続いて村上3家は織田信長と石山本願寺の戦いでは双方に分かれて戦い、豊臣秀吉の海賊追放令、関ケ原の戦いでは西軍方で敗戦と歴史の渦に巻き込まれます。

 「信長方、本願寺方に分かれても相手を滅ぼすことまではしません。海運業のリスク管理の立場から権限を分散させています。一体化した組織が形成されると組織に腐敗が生じる。組織の敗亡は腐敗に始まるという考えもあったようです」

 「因島村上水軍で手腕が光るのは、戦国時代の村上吉充です。厳島の戦いに参戦するなど毛利家と緊密な連携を結んで最大の領土を取得し、豊臣秀吉の海賊禁止令にも柔軟に対応。関ケ原の敗戦後はすぐに当主の座を譲り、同じく西軍だった毛利家と共に蟄居すると称して、瀬戸内の島々を転々としました。浮き沈みの事態に素早く対応し、最後は自らを捨てて、組織全体の利益を最大化しました」

「けん制と連携」の経営哲学、江戸町奉行制度にも影響

 ――村上水軍は江戸時代に入って軍学書などに紹介されていきます。

  「『けん制と連携』を応用したのが江戸の北町・南町奉行制度です。管轄区域、管轄事件が全く同じ司法機関を2つ作った国は日本以外には存在しません。これによって江戸時代に裁判官の賄賂が撲滅されました。日本の司法史では画期的な出来事のひとつです。鎌倉時代から室町時代に広まった書籍『庭訓往来』には裁判官への贈賄を勧める一文もあったのです」

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