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東条英機「嫌われる勇気」欠いた悲劇~名課長は名社長ならず

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東条に欠けた「国民に嫌われる勇気」

 格別に引き上げてくれた上司、先輩はいなかったようだ。それでも東条が何度でも復活できた理由を一ノ瀬氏は「陸軍の利益を執拗に主張したことに加え、左遷先でも猛勉強して最新技術を含め多くの分野で精通していた点が大きい」と指摘する。座右の銘は「努力即権威」。会議ごとに詳細なメモを取り、日曜日の趣味は前週のメモのデータ整理だったという。「航空戦略分野でも専門家に負けないほど詳しくなっていた」と一ノ瀬氏は話す。

 トップリーダーとしての東条の欠点については、戦略的ビジョンを欠いていたことがよく挙げられる。さらに一ノ瀬氏は「東条は国民の意向を注視し、常に国民を恐れていた」と分析する。対米戦争への道を決定づけた41年の近衛内閣の退陣は、東条が原因だ。近衛が妥結しようとしていた日米交渉の核心は、中国からの軍隊撤兵。しかし陸相の東条は最後まで拒絶し続けた。ただ、陸軍の利益に固執したばかりではなかった。

 東条は撤兵問題の背後に、日中戦争における国民の不満を読み取っていた。「衆議院などで、なぜ陸軍は賠償金や領土をぶん取らないかと突き上げられており、せめて駐兵だけでも成果として国民に示す必要を感じていた」と一ノ瀬氏。

 米国との決裂が、国民にとって極めて危険な選択であることを東条は十分に認識していた。一時的に国民の怒りを買っても妥協すべきだっただろう。しかし東条は決断できなかった。民意に基づいた政治を目指すという、本来ならばプラスに働くはずの東條の考えが、皮肉にも逆に行動を誤らせた恐れがある。国民から「嫌われる勇気」を持てなかったのが東条の限界だった。

(松本治人)

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