病を乗り越えて

「越境せよ」 働く意味伝えること 新たな使命に サッポロビール人事部プランニング・ディレクター 村本高史

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 全国に拠点がある企業に勤務しながら、これまで転勤したことがない。部署や部門の異動は度々経験したが、ずっと東京で働いてきた。一方で、本社勤務が長かったこともあり、出張の思い出は尽きない。

 出張は、旅と言うには小さな旅だ。旅情を感じる暇などないことも多い。ただ、たとえ小さな旅でも、旅路の出来事の断片は記憶となって積み重なる。現実と理想を見つめての真剣な議論。笑顔で乾杯した夜。あるいは大自然が織り成す雄大な風景。

 人間である以上、出来事と感情は切り離せない。あの時、何を思っていたのか。その先に何を見つめていたのか。一つ一つは年輪として刻まれ、懐かしくよみがえる。

いくつもの旅路の記憶の底から

 初めての出張は、入社して半年たった時。東京都内を所管する現場の営業企画部門に配属されていた。30年以上も前、コンビニやスーパーではお酒の取り扱いがまだ少なかった時代、販売の主力は一般酒販店だった。一定期間に缶ビールをたくさん入れてもらったお店を集め、謝礼として企画された北海道旅行の事務局の一員だった。

 営業ではないので、顔なじみの相手がいるわけではない。会社の先輩たちが一緒とはいえ、新入社員のぎこちなさは隠せない。羽田に集合し、千歳で参加者全員がそろっているのを確認して、早速向かった昼食会場はサッポロビール園。一息つけるかと思いきや、楽しい食事風景のビデオ撮影を得意先から頼まれ、昼食で口にしたのは名物ジンギスカンのラム肉、二切れ。緊張と空腹で次第に胃が痛くなったことには、今でも苦笑する。席順に気を遣った夜の宴会も何とか終了し、ホテルの大浴場の滑り台で先輩たちが童心に帰ってはしゃぐのを見て、ようやく気持ちがほぐれたものだ。

 30代までのキャリアは、マーケティング部門と人事部門の往復だった。何とか一人前になっていく中、マーケティング部門の在籍時の出張は印象深い。

 たとえば、20代の商品開発部時代。本社に異動すると、出張は一気に増えた。営業拠点との意見交換や工場での試作品を交えた打ち合わせ。あるいは、商品デザイン変更の際の製缶工場での立ち会い。日常のように各地に出向いた。

 在籍した3年間の最後に開発を担当した新商品は、春の大失敗商品の雪辱を期して秋の発売。味の仕様の最終決定はぎりぎりまでずれ込み、真夏の作業になった。当時は関西にあった工場に乗り込んで最終確認後、マスコミ向け発表用の試飲見本を翌日東京に持ち帰ることに。お盆の最盛期の大混雑の中で新幹線の指定席もすべて売り切れ、ビールの大瓶2函(はこ)をどうやって運ぶか。同行した製造部の担当者に「特別なミッションだから」と提案してグリーン券を堂々と購入し、見本品は車両の棚に収納。車内で買ったビールで達成感を味わいながらの帰路も、懐かしい記憶だ。

 あるいは、30代で広告宣伝に携わった頃。撮影に適した風景を探し、立ち会い作業で中国やタイ、アメリカも訪れた。飛行機を乗り継ぎ、そこから車でさらに入った奥地には、日本ではとても見られないものがある。遠くに見える雄大な天山山脈、アリゾナからユタにかけて岩や砂が織り成す神々しいまでの原風景。現地の脂っこい食事や容赦ない日差しに予想以上に苦しみつつ、人知を超えた大自然の力に驚嘆した。

 国内では、北海道上富良野町。ビールの原料となる大麦やホップの生育状況を追い求め、30代の終わりに2年間で14回通った思い出深い町だ。

 これに対し、人事部門での出張は色合いが異なる。一言で言えば、人と出会い、向き合う旅だ。

 20代後半からの最初の在籍時。6年間の後半は人事制度の改定を行い、説明会や評価者研修で全国を渡り歩いた。2ヶ月間で半日の研修会を50回以上。管理職クラスのほぼ全員と顔を合わせる機会は、同じ会社とはいえ、様々なキャラクターの人がいることを実感させてくれた。

 40代で再び人事部門に戻ると、全国の営業拠点や工場を再び飛び回った。各地に出向いての研修。あるいは現場の状況や各人のキャリアプランを踏まえた異動ヒアリング。時には突発事態を受けての緊急出動。それぞれの語る夢に心動かされ、悩みを受け止め、諭してみたりもした。躍動する仲間がいて、苦闘する仲間もいる。人と向かい合うこと、人の心に働きかけることが自分の仕事だと信じ、旅を続けた。

いのちを伝える旅を続けて

 旅への誘いは、8年前に断ち切られる。喉元のがんが再発し、声帯を失った。対面のコミュニケーションは筆談となり、それ以外はメールが主な手段となった。声帯の代わりに食道を震わせる発声法を習得すべく、教室に通いながら雌伏の時を過ごした。

 復帰して4年目、役員に帯同して久しぶりに出張した。静岡の営業拠点での経営方針や日々の活動に関する意見交換会。ベテランから若手までの真剣な表情を見て、現場の活気はやっぱりいいものだと思った。

 同じ頃、「いのちを伝える会」を始めた。自分の経験は会社の健康な仲間にも何かの参考になるのではないか。そう思って、興味がありそうな仲間に声をかけ、闘病体験やそこから感じた人生の目的と使命等を語り、話し合う会だ。本社内で少人数の会を積み重ね、2年前から各地に出張開催を始めた。参加者の中にも、いろいろな思いがある。何らかの病で考え込んだ経験。病でなくても壁に直面し、悩んだ時のこと。仕事のみならず、家庭も含めて人生全体を見つめることの大切さ。様々な人や思いと向かい合う旅の中で、少しでも日々を過ごすヒントや後押しになっていればと思う。

 最近は、有り難いことに社外からも様々な機会を与えられるようになった。多くは「いのちを伝える会」の延長で、闘病体験や働くこと、生きることの意味合いを話す機会だ。同じ立場同士でがんを経験した人たちに、さらには企業で働く現役の社員かつ人事部門経験者として他企業に、あるいは患者として医療者に。スタンスは様々だ。

 昨年秋に訪れた東北の石巻。被災して人々が不安な一夜を過ごした公園を訪れ、街を見下ろすと、同じようなやり場のない感情が自分にも込み上げてきた。当地のがん経験者同士が集まる場の名前は、その公園から採った「日和山カフェ」。それぞれの土地で暮らす人たちと思いを共有し、生きることの意味について語り合うことは、こちらも気づきを得る素晴らしい機会だ。

 この秋は全国各地を訪れる。9月の名古屋での医療系学会の講演会では、医療者や学生、がんサバイバー等が700名以上参加してくれた。頭頸部(とうけいぶ)がんの経験者としての話が、医療の発展や生きる勇気になることを願っている。国からは、主に中小企業向けに「治療と仕事の両立支援」について話す機会を、全国8ヶ所で依頼されている。一社でも多くの企業がその気になって両立支援に取組み、病気を経験した人が「働く喜び」を一人でも多く実感できることにつながるよう、準備を進めている。東北の秋田では、がんサバイバー仲間が呼んでくれた会も待っている。

 旅の目的や使命は変わったが、本質はおそらく変わっていない。出会いがあり、出会いから生まれる何かがあり、それこそが働くことや生きることの喜びだと思う。そして、一つの出会いがまた次の出会いを呼んだりもする。出会いの力を、そして旅の力を信じている。

 人生が旅ならば、それは戻ることのない旅だ。けれども、過去の記憶や経験を糧にすることはいくらでもできるはずだ。「キャリア」とは、馬車の車輪が残してきた「轍(わだち)」のことだという。これまで歩んできた「轍」を時には振り返りながら、「轍」のないこれからを考えてみるのも大いに意味があるだろう。

 がんから復帰した年に、勤務先の企業グループの人事戦略の基本理念をつくった。「越境せよ」と題するメッセージは、グループ社員の全員に対して以上に、誰よりもその時の自分に言い聞かせたかったことだ。組織の垣根や事業・国の境界を越えることも重要だが、メッセージは「自分の枠を越えて行け」の一文で始まる。自分を越えていく過程で何が見つかるかを楽しみに、これからも旅を続ける。

村本高史(むらもと・たかし) サッポロビール株式会社人事部プランニング・ディレクター
1964年東京都生まれ。1987年サッポロビール入社。マーケティング部門と人事部門を交互に経験後、40歳以降、サッポログループの人事部門グループリーダー(課長職)を歴任。2009年、44歳の時に頸部食道がんを発症し、放射線治療で寛解。11年、サッポロビール社の人事総務部長を務めていた際にがんが再発し、手術で食道を再建すると共に、声帯を含む喉頭を全摘。その後、食道発声法を習得し、話せるようになる。14年秋以降、創造変革職(専門職)としてコミュニケーション強化等の組織風土改革に取組みつつ、闘病体験や思いを語る「いのちを伝える会」を社内等で開催。現在は社外でも講演等を行うほか、厚生労働省「がん対策推進協議会」委員も務めている。

※この連載は今回で終了します。

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