病を乗り越えて

人事部で迎えた転機 「人の心に働きかける」貫く サッポロビール人事部プランニング・ディレクター 村本高史

記事保存

日経BizGate会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。

 暮れ行く街の景色を眺めながら、連日考えていた。刺激に満ちあふれた日々は過ぎ去ってしまった。自分はなぜこの会社で働くのか。これからもこの会社で働いていてよいのか。2004年、つるべ落としの秋のことだ。

新しい仕事に直面する日々の中で

 33歳で宣伝部に移り、ブランド戦略全般まで仕事が拡大した時期を含めて6年間を過ごした。怒とうの日々。強烈な逆風も受けた。充実感も存分に味わった。40歳を前に今後のキャリアプランを考える中、これから先もマーケティング部門で仕事をしていたい思いが強まっていた。夏が終わろうとしていた。

 その矢先、持ち株会社のホールディングスの人事部門に異動と言われた。ショックだった。会社再編からまだ1年。新しく生まれた持ち株会社には、事業会社にいる自分は「余計な口出しはしてくれるなよ」くらいの存在としか思っていなかった。

 多くの仲間がいるにぎやかなフロアから、人の少ない静かなフロアの片隅に席を移した。自分は何のために働くのか。改めて考え始める。異動前と同じマーケティングや広告の仕事に転職するのはどうだろう。そんな考えもちらついた。

 そもそもサッポロビールに入社したのはなぜだったのか。街なかで、野球場で、飲食店で、ビールを飲んでいる人の笑顔を見たかったからだと思い出した。そうであるならば、ビールを直接手掛けない持ち株会社にいるとしても、どんな仕事も顧客の笑顔にはつながっているはずだ。とりあえず目の前の新しいことをやってみよう。そう思った。

 新しい仕事は、特命事項である退職金制度の改定だった。それも既に退職したOB・OGを含めての大掛かりなもの。将来の財務的な危機を打開する一つとして、当時のホールディングスの社長が決断したことだった。人事部門に在籍したことはあったが、退職金とは縁がなかった。ゼロからの仕事だった。

 もっとも、制度案は既にでき上がっていた。財務上の影響や利率など、金融機関の専門的視点も入れてのもの。問題は、これをどう実現するか。持続可能な退職金・年金制度にしていくためにも、また、自社の存続を確かなものにしていくためにも、改定の必要性は理解できる。しかし、現在受給中、あるいは受給を約束済みのOB・OGにどうすれば減額を理解、納得してもらえるのか。事務局の自分にとっても、難題だった。

 世間では、同様の改革が訴訟にもなっていた。そのせいか、監督官庁も認可への正式手続きのゴーサインをなかなか出さない。OB・OGに対して会社の考えを示すことだけは認めてもらった。対象者に手紙を発信した日付は忘れもしない、自分の40歳の誕生日だった。

 やると決まった以上は真摯に仕事に取組み、真摯に人と向かい合うしかない。全国各地で説明会を開催する。こんな状況に至ったことを会社側の出席者がそろっておわびし、制度改定の必要性を説明する。怒りに震える人がいた。「退職時の約束が違う」と涙する人もいた。黙って聞く人も何か言いたげだった。

 各地の説明会で出た意見や質問をQ&Aの一覧表にまとめて郵送し、OB・OGに共有した。重ねてのお願いと共に、賛同してもらえるかどうかの意向確認アンケートも行った。節目の都度、手紙を繰り返し発信し、理解と納得を働きかけた。対象者の意見を踏まえ、定年前に早期退職した人に関する当初の改定案を一部変更すると、賛同の意見がどっと増えた。主力商品が退職後も愛飲できるビールであることも、自社への愛着や応援の気持ちの面で大きかったのかもしれない。

 難航する監督官庁との折衝も、度々の訪問で徐々に進展した。世間に比べて圧倒的に高い対象者の賛同の声もあり、正式手続きに進むことが認められた。結局、予定よりは遅れたが、1年かけて退職金制度の改定は一段落した。

 新しい仕事を進めながら気づいたことがある。マーケティングと人事は仕事の形は違うけれど、人と向かい合うこと、人の心に働きかける点では、変わりがないということだ。自分の仕事は人と向かい合うこと、人の心に働きかけること。この時にたどり着いた思いは今も変わっていない。

 8年前、がんの再発手術を経て復帰した。46歳になっていた。その頃、忙しく働く仲間たちを見ながら、過去の自分を振り返ったことがある。最も自分らしい仕事をしていたのは、いつだったか。刺激と興奮に包まれていたのは、30代のブランドマーケティングの仕事をしていた時だ。ただし、自分らしい仕事のスタイルを確立したのは、自分から人とのコミュニケーションを丁寧に積み重ねた退職金制度の改定当時のことだったような気もする。

閲覧履歴

    クリッピングした記事

    会員登録後、気になる記事をクリッピングできます。