天下人たちのマネジメント術

中曽根・吉田・浜口…昭和のリーダー1位は誰か

記事保存

日経BizGate会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。

自ら権力をつかもうとしなかった東条・近衛

 ――第4次産業革命の技術進歩に直面している現代の経営トップも同じ心境かもしれません。

 「一方、東条と近衛は自ら権力をつかもうとはしていません。東条が昭和天皇の叱責を受けると思って参内したら組閣を命じられ、急いで明治神宮に参拝したエピソードはよく知られています。軍人として全陸軍を率いたい権力欲はあったでしょうが首相までは視野に入っていなかったでしょう。近衛はトップリーダーになることを期待され続けましたが、首相となると常に辞めたいと周囲に漏らしていました。貴族出身から来るひ弱なイメージと違い、陸軍大臣を事実上の更迭処分にするほどの力強い政治手腕は持っていたのですが」

 ――最も優れたリーダーシップを発揮したのは誰でしょうか。

 「強いて言えば中曽根かもしれません。個人的には自己顕示欲から表出されるパフォーマンスが苦手なのですが。多くの人々に見えるところだけでなくサミット(先進国首脳会議)での議論、交渉の場でも発揮しました。中曽根は『首脳間の話はどっちの気迫が強いかという器量の見せ合い』としています」

 「小派閥に属しつつも自民党内の力関係の変化を観察し、権力をつかみました。首相になった時の準備も怠りませんでした。理想主義的プラグマティズムの模範ともいうべきリーダーシップを発揮することができました」

 ――著書の中では特別編的な扱いで昭和天皇も扱っています。立憲君主時代の戦前が対象です。

 「昭和天皇は何でも可能だったわけではありません。立憲君主である以上、政策決定に関与できるのは、委任した臣下の決定が国益を損なうと判断したケースか、臣下間の対立が厳しくて合意が形成されない場合です。対米開戦は前者で、2度にわたり決定回避を図りました。しかし白紙還元まで指示しても、閣議や軍部を交えた連絡会議でなおも『開戦やむなし』の結論が出た以上、絶対君主でない限り覆すのは不可能に近かったでしょう」

 ――終戦の決断が遅れたとの声は74年後の今日にも残っています。

 「昭和天皇は1943年9月のニューギニア戦の敗北で戦争に勝つ展望を失っていたようです。しかし同盟国のドイツを出し抜く形での講和は、国家間の信義を重んじるスタンスから不可能でした。中国でも蒋介石政権との和平を望みながら、汪兆銘政府との同盟関係を最後まで守っています」

 「昭和天皇が講和へリーダーシップを発揮するのはドイツが降伏し、単独不講和条約に拘束されなくなってからです。原爆の惨害を受けソ連(現ロシア)参戦を招きましたが、甚大な犠牲を伴う本土決戦とソ連進駐による分割占領は回避できました。危ういところで全くの手遅れにならずに済んだのではないでしょうか」(文中敬称略)

(聞き手は松本治人)

※日経BizGateの記事を無料で定期的にお届けする会員登録をおすすめします。メルマガ、印刷ページ表示、記事クリッピングなどが利用できます。登録はこちらから

閲覧履歴

    クリッピングした記事

    会員登録後、気になる記事をクリッピングできます。