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「コンコルド効果」が教える終戦が8月15日の理由

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 8月15日は終戦の日。約4年続いた太平洋戦争で犠牲になった日本人は約310万人にも上り、その多くが勝利の望みが消えた最後の約1年間で戦死したり被災した人々だった。なぜ終戦が遅れたかの研究が、社会心理学的や行動経済学の視点も取り入れた形で進んでいる。日本のエリート層が、そろって狂信的な軍国主義者で戦争を長引かせたわけではない。一見合理的に見える決断が、実は被害を増大させる落とし穴だったことが解明されつつある。現代の企業経営にもヒントとなりそうだ。

「一撃講和論」が陥った現状維持バイアスのわな

 1941年12月に日本の連戦連勝で始まった対米戦争は、42年6月におけるミッドウエー海戦の敗北を境に、物量で勝る米軍の反撃攻勢の局面に一転した。戦況が悪化する中で決定的だったのは44年7月、北マリアナ諸島にあるサイパン島の陥落だ。サイパンからは日本への空襲が容易に行え、この時点から日本軍は加速度的に劣勢に追い込まれた。

 近代史学の古川隆久・日大教授は「昭和天皇も当時の東条英機首相に特に確保を指示する要衝だった」という。東条内閣は退陣し、対英戦のインパール作戦も中止された。「後任の小磯国昭首相は昭和天皇の疎開を勧めるほどだった。昭和天皇は最後まで帝都にとどまることを選択したが」と古川氏。

 勝利が絶望な状況で生まれたのが「一撃講和論」だ。古川氏は「1回でも局地戦闘に勝利することで、条件付き和平に持ち込もうとする構想。昭和天皇から政府、軍部ともほぼ共通の考え方だった」と指摘する。43年のカイロ宣言で連合国が対日戦の目標とした無条件降伏を避ける狙いがあった。

 損害を最小限にしようとする一撃講和論は、一見合理的に思える。巨大戦艦の「大和」「武蔵」はまだ健在で、中国大陸には陸軍最強とされる関東軍が控えていたからだ。しかし古川教授は「日本のリーダー層が現状維持バイアスにかかっていた」と指摘する。

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