天下人たちのマネジメント術

真珠湾攻撃 ミッション不徹底が山本五十六の誤算

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 第2次世界大戦の終結から74年。日本の開戦から敗北に至るまでの研究は、さまざまな視点から現在も続いており、現代企業が組織マネジメントを見直す上で参考になるケースも少なくない。そのひとつが連合艦隊を率いた山本五十六・海軍元帥への再評価だ。1941年12月に対米開戦と同時にハワイ・真珠湾攻撃を遂行した立役者だが、希代の名将も作戦のミッションを部下に徹底させられなかったという。真珠湾攻撃の成果と誤算を追った。

 真珠湾作戦は、41年12月8日の対米開戦初日に行われた日本海軍の機動部隊による奇襲攻撃だ。ハワイに駐留していた米海軍の「アリゾナ」など主力の戦艦4隻を撃沈・4隻を大中破させた上、戦闘機など約350機を破壊し米太平洋艦隊を壊滅状態に追い込んだ。日本は西太平洋海域の制海権を確保し、シンガポール、マニラ陥落などの端緒となった。

戦史上では「イノベーション」との見方も

 真珠湾攻撃のアイデア自体は、昭和初期には生まれていたという。武蔵学園記念室での勤務のかたわら日本海軍史を研究する畑野勇氏は「実際に海軍大学では1927年に図上演習しており、米軍でも実施していた」と指摘する。しかしあくまで研究レベルにとどまっていた。「具体的に真珠湾攻撃の構想を長い期間温めていたのは山本だけだった」と畑野氏。海軍の作戦・用兵を統括する軍令部は、山本の作戦を危険が多く投機性が強いとして反対したものの、最後は山本が押し切った。

 真珠湾攻撃は近・現代戦史からみた場合、ある種の「イノベーション」だったということもできる。飛行機では主力の戦艦に対して致命傷を与えられないという、それまでの常識を覆し、海上戦の主役が航空機に交代した戦いだった。同湾は海深が浅く航空魚雷の攻撃が不可能とされていたのを特殊な構造のものを開発した。さらに高空からの大型爆弾投下による「水平攻撃」も訓練の積み重ねで大幅に命中率を上げたという。畑野氏は「山本は急降下爆撃機による片道空襲で、搭乗員は海面へ不時着させて潜水艦で救助する方法まで研究させていた」という。

 日本からハワイへ長距離遠征できた一因に、現地での徹底した情報収集があった。海軍はホノルル総領事館に予備役少尉を変名で送り込み、開戦まで詳細な米艦隊の状況を東京に送り続けさせていた。総領事の外務省あてに送る暗号電報を利用した。邦人引き揚げ船を使って米西海岸やハワイ方面の軍事視察も行ったという。一方で機動部隊側では無線封止を徹底するなどして米軍に察知される危険を防いだという。

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