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台湾の新興ブランド、日本留学で得たヒントで逆進出

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 ――1977年に台南市で生まれた呉氏は、いったん社会人になった後にカナダへ1年、日本に4年半、それぞれ留学しました。

 「父が貿易会社を経営していたので10代後半からいずれ起業したい、その前に世界を見たい気持ちが強かった。兵役の関係で実際の留学は20代に入ってからになったが。カナダは語学学習の1年で切り上げ、日本には2004年から07年まで語学学校と立教大ビジネススクールに合計4年半滞在した。台湾の経済界は、現在でも日本のビジネス方法やマナーに関して大きな影響を受けている」

 ――立教大で得たものは現在でも生きていますか。

 「立教大ではビジネスデザインを習得した。クラスの生徒はほとんど社会人で、お店のオーナーも通っていて現場の血の通ったエピソードを聞かせてもらった。アルバイトはスターバックスと東京ビッグサイトの通訳で、日本側と中国・台湾・香港とのバイヤーとの商談会に立ち会った経験には大きな学びがあった。通訳のバイトは可能な限り入った」

 ――日本留学中に関心を持った企業はありましたか。

 「ひとつはスターバックスコーヒーを日本に持ち込んだ『サザビーリーグ』だ。飲食店を突破口に生活雑貨・衣料品などの企画・販売にまで事業を拡大した。もう1社は『BEAMS』。米西海岸のカジュアル衣料輸入からオリジナル衣料、雑貨の独自ブランドを確立した。ユナイテッドアローズにも注目していた。富錦樹グループのヒントは、日本留学中に習得したものだ」

 ――台湾に戻って地元大手で海外企業の誘致に従事したのちに09年に独立します。最初には貿易会社でした。

 「台北市内のファッションの中心だった東区に店を開いたのだが、年々跳ね上がる賃貸料が負担だった。思い切って新会社を立ち上げて富錦街エリアに移った。商店がひとつもない住宅街だが、一からライフスタイル提案型店舗を展開するにはかえって都合がよく、メディアの関心も集めた。かつて駐留していた米軍が開発した地域なため景観が米国風で、現在も外国人や台湾の富裕層らが住んでいる」

 「実際に富錦街を開発する際のモデルは米国のエースホテルで、古いホテルをリノベーションしたブティックホテルだ。ホテル内にはカフェもレストランも併設している。富錦街はエースホテルを平面的に展開するイメージで設計していった。最初にアパレルのセレクトショップを始め、次にBEAMSに進出してもらった。さらに雑貨、カフェ、レストランだ」

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