天下人たちのマネジメント術

就活も緻密で大胆?「軍師・孔明」のキャリアアップ

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 中国の魏・蜀・呉の3国が覇権を争う三国志の世界は、ビジネス書でも取り上げられることが多い題材だ。劉備や曹操、孫権らの戦略は現代のビジネス競争にも一脈通じる。とりわけ蜀の丞相(じょうしょう)である諸葛亮孔明(181~234年)の人気は群を抜いて高い。ただ「鬼謀・神算」といわれた孔明も、就活には作戦を練り、身内の人間関係にも気を配り続けたという。天才軍師のキャリアアップ術を追った。

「三顧の礼」のエピソードにみる虚実

 孔明は戦乱を避けて田舎で生命を全うしようとしていたところ、蜀の劉備自身が3度も自ら出向いて招請したことに感動し、三国時代の乱世に身を投じることになった――。有名な「三顧の礼」のエピソードだ。孔明27歳、劉備は46歳。後に孔明自身が有名な「出師の表」で記している。

 だが実際は違う。三国時代研究の渡辺義浩・早稲田大文学院教授は「孔明は自分が抜てきされるチャンスを狙っていた」とみる。諸葛氏は山東半島の名門で、孔明自身も儒教の中の「荊(けい)州学」を学んだ秀才エリートだった。エリート層は名士と呼ばれ地域を超えた横のつながりも強かった。「荊州学は合理的、実践的な性格が濃く、孔明は乱世を治めるための具体的な規範を習得した」(渡辺教授)という。

 やがて孔明は管仲・楽毅ら春秋戦国時代の名宰相らに自分をなぞらえるようになったとされる。学友には「州の長官か郡の太守にはなれるだろう」と品定めし、そういうキミはどうなんだと反問されると、笑って答えなかったという。才気煥発(さいきかんぱつ)・自信満々で、少し嫌みな青年像が浮かんでくる。諸葛一族は孔明の兄である諸葛●(きん、玉へんに謹のつくり)が呉の大将軍、同族の誕は魏の征東大将軍に仕官した。魏蜀呉の3国全てが滅んだ後も、諸葛一族は西晋で要職を歴任したという知謀の一族でもある。

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