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「人事は戦争と同じ」三国志・曹操の人材獲得術 渡辺義浩・早稲田大文学学術院教授に聞く(下)

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 日中韓で人工知能(AI)など先端研究者のヘッドハンティングが激しさを増している。特に積極的なのは中国だ。かつて日本から半導体技術者らを引き抜いた韓国は、今度は中国へ人材が流出しているという。紀元前からトップの転職が珍しくない中国は、いわばヘッドハンティング発祥の地ともいえる。中でも三国時代の曹操(155~220)は、革新的な人事システムを導入して在野の人材を取り込んでいった。4日に曹操をテーマに講演した(日経カルチャー主催)渡辺義浩・早稲田大文学学術院教授に曹操流の人事ノウハウを聞いた。

■「唯才主義」掲げ、中国全土から採用

 ――曹操や諸葛亮孔明が活躍した魏・蜀・呉の時代は、頻繁に将軍や大臣クラスが他国にヘッドハンティングされました。乱世の奸雄と呼ばれた魏の曹操は、最も人材獲得に熱心だったと言われます。

 「魏が三国の中で最強となりえた理由は、曹操の徹底した革新性にあります。社会体制から人々の価値観までも一新しようとしました。屯田制や租調制など随・唐の時代まで続く生産、税制の改革や、卓抜した軍事的才能に加え『唯才主義』を掲げた人事システムが魏を急成長させました。道徳上に問題がある人物でも、傑出した才能があれば推薦するように促しています」

 ――前代の後漢は儒教が国教だったため「孝廉」(親孝行で金銭に清潔)さが人事の採用基準でした。人間の徳性が官僚としての才能を示すという考えでした。

 「曹操は後漢王朝における宦官(かんがん)領袖の孫で、体制内のエリートだったため、よけいに前後400年続いた『漢』の限界に敏感だったのでしょう。斉の宰相・管仲のように貪欲な者であっても、漢の高祖に仕えた陳平のように、兄嫁と不倫し賄賂を受け取っても、有能ならばよしと告知しました」

 「後漢末期の群雄の一人として歴史に登場し、魏王で死去するまでの約30年間に、曹操が招請しようとした人物は、記録に残るだけでも53人に及びました。君臣の情義にこだわった蜀や、揚子江流域など南方の地縁が中心だった呉の人事システムと違い、中国全土から地域的偏りがなく登用したのが特徴です」

 「『九品官人制』と呼ぶ魏の人事体系を完成させた陳羣(ちんぐん)は、蜀の劉備玄徳に仕えた時期がありました。曹操は自分を殺しかけた敵国の軍師も、幕僚に迎えました。呉王となる孫権や蜀の名将、馬超まで配下に招こうとしました。実現はしませんでしたが。逆に劉備は、臣下の劉巴が多くの知人を曹操政権に入るように画策した過去があったため毛嫌いしました」

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