新「企業と社員」関係論―人生100年時代に

小田和正の盟友 今も貫く建築の道 立命館大学教授 西山昭彦

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 今回は歌手の小田和正さんの高校大学時代の初代バンド仲間の地主道夫さんを紹介する。お二人は聖光学院中高(横浜市)、東北大学、早稲田大学と青春期の全プロセスを共有した稀有(けう)な存在だ。その地主さん、その後どう生きてきたのか。

人の縁を感じる

 実は筆者は小田ファンの一人で、コンサートにも足しげく通っている。会場は広く、数万人がいるはずなのに、通路で地主さんにたびたび会う。一体、この確率はどれくらいなのかと思う。

 加えて、本企業と社員の関係論の3回目に登場した伊藤元規さん(元ITBOOK社長、現在チョコのベンチャーであるダリケー勤務)と、地主さんは誕生年も日も全く同じという。以前お二人が課長時代にTVの依頼を受け、課長のモデルとして出演してもらったことがある。今回生涯現役で再び同じシリーズに登場する際誕生日の話を聞き、歴史的な縁を感じた。何かのスピリチャルパワーがあるのかもしれない。

 地主さんは中1でギターを始めた。クラシックギターだが、ポピュラー系が好きだった。友人である小田さんの家に出入りし、小田さんの兄のレコードを聴いて曲を覚えた。他方、小田さんは楽器はやらず、歌が好きだった。初めて人前でバンドをやったのは高1の学内のクリスマスパーティー。8人編成で好評を博した。高3の文化祭ではさらにレベルアップし、観衆から大歓声があがった。アマだが、音楽的な才能はすでに開花しつつあったということだろう。

 地主さんは親元を離れて、建築をやりたくて、東北大の工学部に行くと決めた。小田さんはじゃあ自分もと同じ学部に来た。この夏には、鈴木康博さんと3人で400人の前でコンサートをやるまでになる。東北大は1年から2年になるときに学科が決まる仕組みで、小田さんが建築に、地主さんは金属に決まった。

 伝説の「第3回ヤマハライトミュージックコンテスト」に満を持して4年の時に出場する。東北予選で1位になり、全国大会へ。しかし、ここでオフコースは赤い鳥に負ける。赤い鳥は7部門全体のグランプリを獲得し、オフコースはグランプリ2位になる。

建築の夢を捨てずに

 東北大を卒業して、小田さんは早稲田大学大学院の建築科に進む。他方、地主さんは金属ではなく、どうしても建築の道を歩みたく、早稲田の建築科3年に学士入学をして学び始める。早稲田の建築はレベルが高く、学生の負担は並大抵ではない。1年から4年まである専門コースを3年かけて卒業する。この早稲田の2年目に、運命の分かれ道が来る。

 音楽をやりたい小田さん、建築をやりたい地主さんという方向性の違いが決定的になり、1971年地主さんは音楽活動をやめる。「自分は建築をやりたかった。音楽では小田に勝てないと確信した」。その見方はその後の小田さんの活躍を見れば、正しかったことになる。しかし、プロの道は苦しく、オフコースがヒット曲「さよなら」を1979年に出すまでにそれから8年かかっている。チューリップも同じような苦節を語っている。

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