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G20サミット、「ケミストリー」が交渉の成否決める 冨田浩司・G20サミット担当大使に聞く(3)

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「主義」が違っても相性はよかった英仏

 フォークランド戦争(1982年)時の両トップの電話会談が記録されている。その内容を冨田大使は「レーガンがサッチャーの話に割り込もうとしても、一言、二言、口を挟むのがやっとで、すぐサッチャーの説教が始まった」としている。レーガンには女性に対する謙譲を重んじる昔気質があり、冷戦終結に向けてサッチャーの助言を尊重してもいた。米のグレナダ侵攻(83年)などで一時的に両国が対立したケースもあった。「しかしサッチャーは米の支持無しには英国の外交政策は追究できないことを承知していた」と冨田大使。

 価値観が真逆でも、人間的な相性が合うケースもしばしばあった。社会主義者である上、欧州統合を推進してサッチャーとは緊張状態にあるはずのミッテランとは、なぜか良好だった。欧州首脳会議でサッチャーが自分の主張を押し通そうと会議を紛糾させた際、「イエスと言うサッチャー夫人の方がノーと言っている時以上に魅力的だと感じます」とミッテランは発言したという。冨田大使は「艶福家として知られたミッテランがサッチャーに女性的魅力に引かれ、サッチャーもこうした関心を受け入れていたのだろう」と推測している。両トップは英仏海峡トンネル建設などで歩調を合わせた。

 まだソ連第2書記だったゴルバチョフとの対談では、サッチャーは外交儀礼を無視して共産主義批判を始め、ゴルバチョフも反撃し議論は白熱した。冨田大使は「サッチャー自身は、準備されたメモに目を通すことなく身ぶり手ぶりでエネルギッシュに持論を展開するゴルバチョフに親近感を感じたようだ」と話す。サッチャーのはゴルバチョフに「一緒に仕事ができる男」と高く評価した。

 逆に政策的に提携関係が結べたはずなのに、人間関係が邪魔したのが英独関係だ。サッチャーは通貨統合(現在のユーロ)を警戒しており、同じ慎重派のコール(当時は西独首相)とは共闘関係を結べるはずだった。しかし「田舎政治家然として退屈な話を延々と通けるコールはサッチャーにとって最も苦手なタイプだった」と冨田大使。コール側は何かと気を遣い、自分の出身地に招待して、名物の郷土料理である豚の胃袋の煮込み料理を振る舞ったという。この持てなしは仏首脳には好評だったが、サッチャーの食欲を失わせる結果に終わった。サッチャーは帰国途上の機内で靴を脱ぎ「おお神様、あの男は本当にドイツ的だこと」と言ったという。

 ほんの少しの気配りがケミストリーを好転させる。逆もまたしかり。28、29日のG20サミットは企業経営者にとっても交渉トップを磨く生きた参考書になりそうだ。

(松本治人)

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