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ブレグジットを見通していた「鉄の女」 冨田浩司・G20サミット担当大使に聞く(2)

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 続いてサッチャーは、欧州の通貨統合につながる欧州為替メカニズム(ERM)への加盟を頑なに反対した。通貨政策の主権に関わる問題だった。しかし今回は、欧州側と協力する実務的なニーズが増えていた主要閣僚の離反を招き、特に盟友だったハウ外相を反サッチャー派に追いやったことが、1991年における党首選での退陣につながった。

「避けられなかったことは何一つ無かった」戦術ミス

 総選挙に3連勝し、強固な党内基盤を築いていたサッチャー辞任のプロセスは、内外のカリスマ経営者の退場にも通じる一種の人間ドラマだ。冨田大使は「いくつもの初歩的な戦術的ミスが重なった」とする。選対チームが過度に楽観的であったこと、反対候補との「格」の違いを見せ付け地道な選挙活動を行わなかったこと、圧勝を確信していたために投票当日はパリの全欧安全保障協力会議(CSCE)に出席したこと――。「避けられないミスは何ひとつとしてなかった」(冨田大使)。

 サッチャーがロンドンを空けていた空白の5、6時間の間に、一転して首相交代の流れが決まったという。2回目の投票への支持を求め、個別に閣僚と面談したときは口裏合わせもできていた。「ほとんど最後の一人に至るまで、彼らは同じ口上を使った。もちろん支持するつもりであるが、残念ながら私(サッチャー)が勝てるとは思えないと言うのだ」――。回想録の中では無念の思いを書き残している。

 冨田大使は「サッチャーの欧州政策についての最大の皮肉は、その後の歴史が彼女の内心の疑念の正しさを証明しているように見えること」と総括する。ERMには退陣直前に加盟したものの、2年後のメージャー政権で脱退した。さらに退陣後のサッチャーは、「EU加盟国は、英国が彼らを必要としている以上に英国を必要としている」とした上で、後進の保守党リーダーらに、一方的な脱退も視野に入れたEUとの加盟条件見直しを促してもいた。メイ政権がブレグジットを決断する15年前だ。

 現実主義的な政策判断、強力なリーダーシップ、国益を追求する厳しい姿勢――。それでもサッチャーは挫折した。欠けていたのは、恐らくEU離脱後の英国の将来に関するビジョンだったろう。「イギリスは帝国を失ってからの役割をまだ見つけていない」と言われて久しい。将来ビジョンを築くには未知のもの、不確実なものに思いを巡らせる戦略的思考が欠かせないが、サッチャーはそうしたプロセスを好まなかったという。

 冨田大使は自著の中で、サッチャーのブレーンが「日々の日程に予定を詰め込みすぎているのは戦略的思考という鬱陶しい作業を避けるための便法だ。各種の行事へのコミットメントを減らすべきだ」といさめたエピソードを紹介している。

 国家の指導者に限らない。ヒト・モノ・カネが国境を越えて流通するIT時代において、企業の成長に欠かせないのは、企業ミッションの確立と経営決断のスピードとされている。戦略的思考は経営トップにとっても真っ先に必要な資質だ。サッチャーのつまづきは現代の経営者にとっても他山の石となるだろう。

 (松本治人)

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