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メイ英首相は「鉄の女」サッチャーと何が違ったのか 「英国の指導力」冨田浩司G20サミット担当大使に聞く(1)

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 メイとサッチャーでは、保守党内の足場も違った。2016年にキャメロン前首相が退陣した時点で、既に党内の要職を数多く務めたメイは内相という重量閣僚のポストにあり本命中の本命。党首選では候補者が次々辞退してメイが唯一の候補者となり当選が確定した。サッチャーが1975年に出馬した時には保守党は野党。しかもz閣僚経験が教育相のみという軽量級なため、勝利を予想する声は全く無かったという。

フォークランド戦争では絶妙の役割分担

 冨田大使は「40年以上経た現在でも、サッチャーの勝利はいくつかの偶然が重なった結果だったという見方が支配的」と語る。79年に政権奪還した際も、当時の労働党政権が総選挙の時期を見誤った自滅の要素が強いという。ただ冨田大使は「政治家は運に左右されても、機会をどううまくつかむかが重要だ」と指摘する。

 経験の浅さを逆にプラスに作用させたのが、1982年のアルゼンチンとのフォークランド戦争だ。サッチャーは、それまでの政治経歴の中で軍事に関わるポストは皆無だった。冨田大使は「サッチャー自身が自らの知見のなさを謙虚に受け止めて軍事的な判断を自制したため、作戦期間を通じて政府と軍の関係が円滑に運営された」と評価する。良い意味での役割分担が機能した好例だ。サッチャー自身は「軍が必要とする政治的な支援を確保することが首相としての自分の仕事」と回想している。

 冨田大使は「今日でも英国人にとって、サッチャーの評価は中立的な態度で望むことが難しい」と語る。サッチャーが「我々の側の人たち」や「内なる敵」といった表現を使って有権者の中の特定のグループに奉仕する姿勢をはばからなかったからだ。政治は万人のためにあるという従来の常識を覆すものだった。

 「サッチャーは人間的にも複雑で、時として相矛盾する側面を持っていた」と冨田大使。弱者や不幸な境遇にある人に細やかな配慮を見せる一方で、議論の場では相手を面罵するほど過度に攻撃的だった。長い議員生活で政治的老獪(ろうかい)さを身に付けていたが、それ以外は驚くほど世間知らずの一面があった。人間的な共感を得るのは難しいタイプだったと言える。

 それでも冨田大使は「サッチャーの人間としての器は、第2次世界大戦を指導したチャーチル首相には遠く及ばない。しかし政治的な業績は『良きにつけあしきに付け』という注釈付きでも、チャーチルをしのぐ」と言いきる。常に一貫し曖昧さを残すことがないサッチャーの指導力について、冨田大使は力の源泉が「知的な真摯さ」にあるとしている。「表現を変えれば、愛されることを望まなかった点が、変革の指導者として成功した要因」と冨田大使。

 経済のグローバル化や第4次産業革命、高齢化社会や移民問題は、英国のみならず先進諸国に共通する課題だ。国家も企業も、常に変革が求められている。リーダーが全員に対して、必要な共感を抱かせるのは簡単ではない。冨田大使は「そういう時代だからこそ、リーダーは時には愛されない覚悟で臨まなければならない」としている。

 (松本治人)

 冨田浩司氏 1981年に外務省に入省し、在英日本大使館公使、在米大使館次席公使、北米局長、在イスラエル大使などを歴任。6月28日から大阪で開催する「G20サミット首脳会議」の担当大使。英国には合計7年間滞在。

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