「令和」の時代を考える

「令和の新札」肖像を右側に描くワケ 「紙幣肖像の近現代史」から(下)

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神功皇后のモデルは印刷局の女子職員

 肖像第1号の神功皇后を含めて、写真はもちろん肖像画すらないメンバーが多いのに、どうやって紙幣に写し取っていったのか。彫刻官のためにモデルを見つけ出していったのだった。神功皇后は印刷局の女子職員、武内宿禰は神田明神の神官、藤原鎌足は松方正義蔵相だという。和気清麻呂のモデルについては明治の元勲・木戸孝允説と当時の彫刻部長説との2説が残っている。植村氏は「昭和に入って紙幣に採用された日本武尊のモデルは、昭和天皇の弟宮・高松宮だった」という。

 戦後はGHQ(連合国軍総司令部)が聖徳太子以外の人物を禁止した。植村氏は「聖徳太子を古代の平和主義者とGHQを説き伏せたのは、当時の一万田尚登・日銀総裁だった」とと話す。一方、大蔵省印刷局は1946年(昭和21年)に大久保利通、渋沢栄一、野口英世、夏目漱石、新井白石、青木昆陽、勝海舟ら20人をリストアップしたとされている。この時点で早くも渋沢の名前が見える。

 お札の世界にも人気・不人気がある。額面の金額だけでは決まらないようだ。1958年(昭和33年)に発行した、聖徳太子を用いた初の1万円札は今も人気が高い。当時は、こんな高額紙幣は不要との議論もあったが、高度経済成長の展開とともに順調に流通量が増えていった。

 逆に1910年(明治43年)に発行した菅原道真の5円券は「幽霊札」と呼ばれ嫌われた。従来のスタイルを一新し最新印刷技術を結集した自信作だったが「発行当初からクレームが殺到した」と植村氏。大きく取った透かしの円形部分が印刷漏れと誤解された上、初めて採用した青緑色インクで描いた道真のリアルな肖像が、平安時代から続く怨霊伝説のイメージと重なったためだ。

 「紙幣の肖像が国民に支持されるかどうかは大きなポイント」と植村氏は強調する。これまで全くのブラックボックスだった決定過程に、国民が何らかの形で参加する方法も出てくるかも知れない。植村氏は「欧州連合(EU)では各国のデザイナーによるコンペが実施されている」と言う。注目したいのは女性肖像のこれからだ。植村氏は「男女平等に機会均等で肖像を選ぶのはオーストラリア、全券に女性肖像を採用している国にはアフリカのエリトリアやギニアがある」という。

 しかしかつて、世界で初めて大型の女性肖像をお札に登場させたのは,神功皇后の日本だ。今から140年前、米国はワシントン大統領らの政治家、ロシアは小型の女神像、ドイツは守護神がお札を飾っていた。英国に至っては、まだ文字と小さなブリタニア紋章だけだったという。「当時は日本が最も進歩的な紙幣を持つ国だった」(植村氏)。

(松本治人)

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