「令和」の時代を考える

「令和の新札」肖像を右側に描くワケ 「紙幣肖像の近現代史」から(下)

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 「令和の新札」に関心が高まっている。5千円の津田梅子の見本は、オリジナルの写真をわざわざ反転させて右側に描いたという指摘も出ている。なぜ日本の紙幣で肖像は右側に描かれるのか、人物はどのように選ばれてきたのか、そもそも図柄として肖像は必要不可欠なのか――。大蔵省(現・財務省)印刷局で、約40年間紙幣の製造行政に携わってきた紙幣史研究家の植村峻氏に聞いた。

「中央に折れ目ができて見苦しい」

 植村氏は「国際的にみて紙幣は、政治体制を問わず肖像を券面の左右どちらかに配置するケースが一般的だ」と指摘する。米ドル紙幣のように、中央に人物を置くのは例外だという。日本でも真ん中に描くのは、1899年(明治32年)の5円、1943年(昭和18年)の1円、45年の100円と10円、57年の5千円札などにとどまっている。「紙幣を2つ折りにした際に、肖像の中央に折れ目ができて見苦しく、用紙が切れやすいからだろう」と植村氏は説明する。

 植村氏は「左側に肖像を置く国は、フィリピンなど世界で少なくない。インドも通貨改革前は右側の肖像だったが、新旧の区分をはっきりさせるため、改革後は左側に変更した」としている。日本では1915年(大正4年)の「和気清麻呂(わけのきよまろ)」を描いた10円札だけが唯一のケース。マニア間では「左和気」の通称で人気が高いという。日本で右側に肖像を置く紙幣が圧倒的に多かった理由を、植村氏は「決定的な要因ではないが、日本人は右利きが多いので、肖像の彫刻官は図柄を右に書く方が描きやすかった」と話す。より緻密、芸術的なプロの仕上がりを期待できるという。

 さらに紙幣を手で勘定する場合には、一般的に肖像の頭部を上部に向ける傾向が多い。右利きの人には右側に肖像があった方が便利という事情も考慮したのかもしれない。

 右側に置いた方が長年見慣れていて、違和感がないという点も見逃せない。日本最初の紙幣肖像として登場した1881年(明治14年)の1円札は、「神功皇后」が右側に描かれていた。神功皇后は古代における神話上の女性の英雄だが、当時は実在したと信じられていた。続いて85年に発行された10円札(兌換銀券)でも「大黒天」は右側に置かれた。88年の改造兌換銀券の 新5円、89年の新1円、90年の新10円と、みな肖像は慣例のように右側だった。

 新紙幣を円滑に流通するためは、国民からの信用が必要で、本物と信用されるには親しみやすさや、なじみやすさといった面も欠かせない。見慣れたレイアウトを変更するメリットは無かったのだろう。植村氏も「各国の紙幣もそれぞれ右側、左側に肖像を集中させている。肖像を右、左と交互に印刷する国は、アイスランドくらいで極めて少ない」としている。

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