天下人たちのマネジメント術

田中軍団を崩壊させた「数は力」の論理 新川敏光・法政大教授に聞く(後)

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中間層を維持できなくなった「目白の闇将軍」

 「内政面で見過ごされかちですが、1973年における年金制度と老人福祉法の大改正があります。現在の我々にも大きな影響があります。73年から75年にかけて年金の伸びは54%、医療コストも27.3%伸びました。国民に相応の負担を求めることはせず、財政的に維持可能な制度設計になっていなかったとの批判は真実でしょう」

 「しかし福祉国家論を研究してきた立場からすれば、田中氏の決断そのものは、間違っていたとは言えません。社会保障改革をせずに高齢化が進行していれば、社会的に大変な事態を招いていました」

 「高齢化する社会で、親が子に頼るような慣習で高齢者の生活保障を維持できたとは思えません。年金が高齢者の生活を支える柱となっている現状をみれば、田中氏の年金改正そのものは、適切な改革だったと評価できます」

 ――本書では田中元首相の手法を「同心円」を目指す包摂の政治と位置づけています。

 「田中氏に権力欲がなかったということでは決してありません。しかし政敵を徹底的に排除はせず、選挙や派閥抗争の後は一回り大きな円の中に包み込もうとする点で、田中氏は卓越していました。絶対的に見える友敵関係も、円の拡大で解消されていきます」

 「田中氏は敵味方を区別せず、派閥以外の、自民党以外の議員にまで資金を提供したため広大な中間層が生まれました。実際、1972年の自民党総裁選で本命候補の福田赳夫外相(当時)を抑えて、田中勝利を決定づけたのは中間派4派の田中支持でした」

 「同心円的な政治は、近代的な権力とは異なります。境界線(国境)を決めて外部の侵入を許さず、内部は官僚的なピラミッド型の組織で統治するのが近代国家です。田中政治は権力の境界があいまいで、水平的関係をモデルにしていました。無論、円の中心に強い権力への意志を持つ田中氏がいたことは間違いありませんが」

 ――田中派は当時「鉄の団結」と表現されていました。特にロッキード事件(1976年)以降は派閥を拡大して日本の首相(=自民党総裁)を決めるキングメーカーと見なされました。「目白の闇将軍」の異名で呼ばれ、同心円的な包摂政治とは全く逆のイメージです。

 「田中派の露骨な膨張こそが、田中政治の衰えを表すもので、派閥崩壊の道を開いたと考えています。田中氏には、中間地帯を維持する力がなくなっていたのです。包摂の政治と相いれない、友敵をはっきりさせる組織膨張を目指したことで、田中政治は硬直したものとなり、後の田中派分裂を招くことになりました」

 ――柔軟に組織を維持するには中間層の育成がポイントで「数は力なり」と考えるはの避けた方がよいですね。

 「民意を全て選挙結果に集約する選挙民主主義も、行きすぎはマイナスです。代表と市民の間の潜在的な緊張関係が認識され、代表への制約として働かなければ、政策決定は民意を反映したものになりません」

(聞き手は松本治人)

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