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田中軍団を崩壊させた「数は力」の論理 新川敏光・法政大教授に聞く(後)

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 平成に代わる元号に「令和」が決まり、確実に「昭和」は遠くなりつつある。しかし昭和の時代に田中角栄元首相(1918~93)が残した政策や政治手法は、現代に生きる我々にもいまだ少なくない影響を与えている。なぜ良くも悪くも戦後民主主義の申し子といわれるのか。「鉄の団結」とうたわれた、田中派を崩壊させた組織の論理は何か。「田中角栄」(ミネルヴァ書房)の著者で、福祉国家論などを研究している新川敏光・法政大教授に聞いた。

アカデミズムの対象としての「田中角栄」研究

 ――田中元首相の家族や元秘書、メディア関係者らによる「角栄本」はおびただしく出版されていますが、学術研究の対象としての評伝は極めて珍しいです。今日では、田中元首相を直接知らない世代にまで、天才政治家とのイメージが広がっています。

 「確かに田中元首相は天才的でした。しかし時代を突き抜けた天才ではなく、『戦後』という時代を生ききったという意味で天才だと捉えています。戦前であれば、学歴にも家柄にも恵まれない田中氏は、国会議員として成功できなかったでしょう。1947年に初めて田中氏を国会に送り込んだのは、戦後民主主義の担い手であった、名もなく貧しく、権力の中心から離れた周辺の人々でした」

 「田中氏の天才的着眼は、いち早く高度経済成長の成果を、地域間の格差是正に振り向けた点にこそあります。田中氏の『治山・治水・治雪』という発想は古くからありますが、あらゆる政治力を行使して政策的に実現した点で独創的でした。日の当たらなかった地域に、道路を作り、橋を架け、トンネルを開通させて、戦後民主主義のひとつの可能性を極限にまで引き出したと言えるでしょう」

 ――田中内閣(1972~74)は、外交では電撃的に日中国交回復を決めるなど業績を上げました。他方内政では、超インフレを招くなどの失政が指摘されています。

 「田中政治は現場の経験主義を外交面にも持ち込みました。内閣発足後2カ月で、外交関係を持たない中国・北京に赴きました。中国の毛沢東主席や周恩来首相を社会主義の革命家ではなく、たたき上げの創業者として評価しました。国民に食事させ、職を与える『政治は生活』と考える点では、自分と同じだから交渉できると踏んだのです」

 「ソ連(現ロシア)に関しても『北方四島を返すからシベリアの木材を4年ばかり倍で買ってくれと言われたら黙って買うべきだ』との考えを残していたそうです。理念的な価値観の対立を利益の対立に転化して、足して2で割る手法は、党内調整や国会対策と変わりませんでした」

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