天下人たちのマネジメント術

田中角栄が初めて東京の土を踏んだ日 新川敏光・法政大教授に聞く(前)

記事保存

日経BizGate会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。

新政策の源泉となった岡田知事、曳田秘書

 「しかし配り方の配慮は、金銭の価値が心理的なものであることを知り尽くした、したたかな計算に基づいていました。借りた金は返さなくても良いが、恩はいずれ返さなくてはなりません」

 「貨幣経済の浸透を通して人々は前近代的な身分・地位関係から解放されたといわていれます。しかし田中氏は、貨幣が近代社会で、あらゆる価値と交換できるオールマイティになったことを利用して、前近代的な忠義関係を築いたといえます」

 ――資金力だけではなく、政策立案能力の高さも「角栄伝説」を支えています。有料道路法やガソリン税、放送局の一斉免許認可――などです。

 「田中氏の発想は、徹底して現場に即した経験主義でした。前例主義ではなく、現場で次々に起こる新しい事態に対処することでノウハウを蓄積していったのです。『私の履歴書』では、個人的体験から教訓を引き出すパターンが随所にみられます。田中氏にとって政治とは生活そのものでした。だから常に具体的な政策が可能だったのです。あるべき国家論や当時のイデオロギー対立は、真に受けなかったようです」

 ――本書では田中政治のアイデアの源泉を解き明かしています。その1人が戦後初代の新潟県知事だった岡田正平氏です。

 「田中氏の国会における言動は、新米議員時代から国土の総合開発を訴えることで一貫しています。計画は都市中心にせず、農村計画を織り込むことなどです。『日本列島改造論』も、国土開発というより都市と農村の格差を高次の政策で統合しようという発想が読み取れます」

 「その政策の源泉は岡田知事だったでしょう。地方の名望家で、松永安左エ門らと親交を結ぶなど幅広い人脈を持っていました。岡田県政は米どころの豊かな水力を生かしダムを建設することで電力開発のみならず治水・食糧増産につなげようという計画を進めました。田中氏は岡田知事を支える国会議員三羽がらすの1人といわれ、政策の発想や県内の人脈を受け継ぎました」

――知られざる名参謀の存在も発掘しています。最古参の秘書だった曳田照治氏です。

 「単なる秘書というより田中政治の原型を作り上げたプロデューサーと言ってよい人物でしょう。田中元首相が昭電疑獄(1948年)で逮捕されたときに、獄中立候補しても当選できたのは、曳田氏の巧みな地盤作りのおかげといわれます」

 「1917年生まれで、名古屋工大出身だった曳田氏は、当時から冬でも自動車が走れる道路を作るとか東京へ日帰りできる鉄道を敷くなどの構想を話していたといいます。俯瞰(ふかん)的に斬新な政策を発想することができ、田中氏の現場経験主義とうまく融合したのかもしれません。『田中さんの政策の半分以上は曳田氏のアイデア』という声もあったほどです。曳田氏本人に地元から国政選挙出馬の意志があったと伝わっていますが、57年に急逝しました」

 「官僚は法律の制約を前提に考えますが、田中元首相は、法律の方を変えれば良いと考えます。民主主義のルールにのっとりながら、自らが代表する利益を組織化し、政治舞台で効果的に実現する第一級の政治的事業家、イノベーターであったといえます」

(聞き手は松本治人)

閲覧履歴

    クリッピングした記事

    会員登録後、気になる記事をクリッピングできます。