天下人たちのマネジメント術

田中角栄が初めて東京の土を踏んだ日 新川敏光・法政大教授に聞く(前)

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 今から85年前の1934年3月27日、16歳の青年が上京して東京の上野駅に下りた。当時は誰も気に止めなかったが、昭和・平成の日本人にとっては意外に大きな出来事だったかもしれない。この青年が田中角栄(元首相、1918~93)だったからだ。最近の「角栄ブーム」で戦後最高の天才政治家ともてはやされる一方、金権政治の象徴として指弾されることも少なくない。一部で影響が残る「田中的政治」とどう向き合っていくかは、今でも大きな課題だ。「田中角栄」(ミネルヴァ書房)の著者で福祉国家論などを研究している新川敏光・法政大教授に聞いた。

1930年代の東京、無名の青年にもチャンス

 ――「満州事変」(32年)後に上京した田中青年は、初日にタクシー料金を不当に取られたり、書生として大河内正敏(理研所長)邸に住み込むはずが行き違いでダメになるなど散々な目に遭いました。それでも何回か転職し、19歳で建築事務所を立ち上げました。

 「中国との戦争も初期で、東京は経済が活気づいていた都市でした。インフラ需要も旺盛で、特に建築・土木関係は、学歴も名家の出身でもない田中元首相にも十分チャンスがあったのです。戦前の東京は、経営者としても後の政治家としても基礎力を培った場所だったでしょう」

 ――「私の履歴書」では理研の大河内所長と面識を得た偶然を生かして、受注を増やしていったことが書かれています。

 「偶然とは思えません(笑)。恐らく大河内氏が行く場所について情報収集していたのでしょう。もっとも出会ったところで本人に引き付ける魅力がなければ何にもなりません。田中氏に批判的な作家は『金力がなければ残るのは才気煥発(かんぱつ)さ、人付き合いの良さ、面倒見のよさぐらい』と厳しく批評しています。しかしそれだけ備わっていればたいしたものと思います(笑)」

 ――早くも金銭のエピソードも出てきます。事業に失敗した父親の代わりに借金を申し込むシーンです。非常に屈辱的だった経験を語っています。

 「お金の大切さが分かっていた人という印象を受けます。自分の大事なものをあげることで相手への信頼や愛情を示した面がありました。大事だからこそ相手に渡した効果を上げたいという意識も強かったのでしょう」

 ――後に自民党実力者として政治家に資金を渡す際には色々気配りしていますね。

 「金を渡す際に『くれてやる』という気持ちがあれば、相手はすぐ悟ってしまい、一銭の価値もなくなってしまうとしています。年始のモチ代をもらった議員がもう一度列に入った時は、苦笑しながらもう一度渡したといいます。そうしなければ先の金も死んでしまうからです」

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