「令和」の時代を考える

「元号」が21世紀まで続く3つの理由 「元号」「日本年号史大事典」から(1)

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 平成に続く248番目の新元号が、2週間後の4月1日に公表される。かつては中国やベトナムなどで独自の年号を使っていたが、現在も残っているのは日本だけだ。1300年以上も続いてきたのは、天皇制度との密接な結び付きだけでは説明しきれない。一般の日常生活に、自然な形で使われているのが重要なポイントだからだ。元号が定着した背景として(1)アジアの国際情勢、(2)識字率の高さ、(3)元号の持つ有意性と利便性――が挙げられている。「元号」(文春新書)、「日本年号史大事典」(雄山閣)の著者である所功・モラロジー研究所教授に聞いた。

中国からの詰問で自前の年号を諦めた古代朝鮮

 どの時代の人間も、空間と時間の交差点に立っている。「人間社会の空間を秩序づける物差しが法制(法的規範)であり、時間を秩序づけるハカリが時制(暦法・紀年法)」と所教授は位置づける。日本の時制が元号(=年号)だ。

 元号を使い始めた契機は、漢の武帝が立てた「建元」(BC140年)からとされる。中国で元号は縁起の良いパワーを持つものだった。改元することで衰えてきた運勢をリセットし、盛運を誘致できると考えられていた。武帝は54年間の在位中に11回も改元し、中華民国が成立した20世紀初めまでに、354もの元号が中国で生まれた(正統王朝のみ)。

 元号は同じ漢字文化圏のアジア諸国に伝わっていった。日本最初の公的な元号は「大化」(645年)とみられる。ただ全国的に定着したのは、律令制度の整備が完成した「大宝」(701年)以降になる。同年に定めた大宝律令は、官民ともに年次を記す場合は年号を用いることを義務付けていた。

 日本で元号が続いたことについて、所教授は「中国との地理的関係や政治状況が影響した」と説く。遠すぎては漢字文化圏から外れ、近すぎては大国・中国の厳しいけん制を受けることになるからだ。古代の中国は自らを「中華」、周辺諸国を未開の「四夷(い)」とみなした。「華夷冊封体制」と呼ぶ上下関係の国際秩序を築いていた。

 実際、独自の年号を用いていた古代朝鮮の新羅は、真徳女王時代の7世紀半ばに、唐の太宗から「臣下として従っていながら何ぞ別に年号を称するや」と詰問を受けた。新羅の使者は「私に紀年あり。もし大朝(唐)の命あれば、小国又(また)何ぞ敢(あ)えてせん」と屈服せざるを得なかった。新羅は翌々年から、中国の年号を公的に使用するようになった。

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