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朝鮮半島の運命決めた3人の米大統領 朝鮮独立への「三・一運動」100年を読み解く(下)

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ウィルソン大統領が朝鮮総督府を爆撃?

 「当時の現地新聞には、飛行機に乗ったウィルソン大統領が日本の朝鮮総督府を爆撃する記事も掲載された」と長田氏は語る。独立を求める「三・一運動」(1919年)の一番の原因は、総督府の「武断政治」への不満だが、背景にあったのはウィルソン大統領の「平和のための十四カ条」だった。

 しかし現実の米国は冷徹だった。パリ講和会議に米国からの参加を望む李承晩(戦後の初代韓国大統領)へは、パスポートを発行しなかった。講和会議でも朝鮮人の要請には無反応だった。

 「三・一運動」における流血の事態を目撃した在朝の米国人宣教師らは、本国政府に働きかけて日本の武力鎮圧を抑えようとした。しかし長田氏は「米国人特有の人道主義からくるもので、米国政府には日本の朝鮮統治自体に異議を唱えて日米関係をぎくしゃくしゃくさせる考えはなかった」と説明する。朝鮮の独立は45年の日本敗戦まで待たなければならなかった。

 もし影響力を行使した4人目を選ぶならば、当然ながら第2次世界大戦のリーダーだったF・ルーズベルト大統領(同33~45年)だ。日本の軍国主義を撲滅する狙いから朝鮮半島の解放を望んだが、朝鮮自体の独立には懐疑的だったという。米国が引き受けるのは、朝鮮における利害関係から「オーバーコミットメント」だとも認識していた。「ルーズベルト大統領が構想していたのは、新たな国際組織による信託統治だった」と長田氏は言う。

 この方向性が、後任のトルーマン大統領(同45~53年)に引き継がれた。大戦末期に日本に参戦したソ連(現ロシア)は、中国東北部を越えて朝鮮半島に向けて進撃していた。米国はソ連の朝鮮席巻は防ぎたいが、米国が朝鮮を引き受ける意志は無く、準備はもとより無かった。急いでソ連側に提案したのが、北緯38度による分割占領だった。長田氏は「とっさの禁じ手とも言うべき消極的介入の方法だった」と批判する。

 朝鮮戦争を経て固定化した38度線の分断に関しては、米国提案を受け入れたソ連、35年間統治していた日本、すでに分化の様相を見せつつあった朝鮮民族自身に、それぞれ責任があるとされている。しかし「そもそも米国提案がなければ起こりえず、分断の責任は一義的には米国にある」と長田氏は手厳しい。「19世紀以来の米国の積極的不介入や消極的介入が朝鮮半島の運命をマイナスの形で作用したのは否定できない」と長田氏は結論する。

 28日までトランプ米大統領と北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)委員長の間で行われていたハノイ会談で、トランプ大統領は北朝鮮が求めた制裁の完全な解除を拒否した。北朝鮮の非核化の先行きは一段と不透明さを増してきたが、今後も交渉は続けられるという。21世紀のトランプ大統領は朝鮮半島の歴史にどう位置づけられていくのだろうか。

(松本治人)

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