ビジネス教養としてのグルメ

皇帝ナポレオンを取り込んだ「モエ」 「シャンパン大全」から(2)

記事保存

日経BizGate会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。

 世界第3位のシャンパン消費大国として、200種類以上を輸入している日本。ただ一番有名な銘柄は昔も今も「ドン・ペリ(ニオン)」だ。生産している仏モエ・エ・シャンドン社を「シャンパン大全」(日本経済新聞出版社)の著者である山本博弁護士は「シャンパン界の巨人」と評している。ビジネス場面でシャンパンを注文する際には「モエ」の存在を抜きには語れない。(写真はピエール・ボナールのポスターの一部)

ブドウ収穫期に2300人の摘み取り人を雇用

 シャンパンの歴史は、大手メーカーの歴史でもある。寒冷地のシャンパーニュ地方は年ごとのブドウの出来具合にばらつきが出るので、良い年のワインを数年間分ストックして抱えねばならない。シャンパンは数十カ所、数年のワインをブレンドして作るのが基本だから、ワインを貯蔵する大規模なタンクが必要になってくる。一種の装置産業の面があり、ブルゴーニュ地方の零細ワイン農家にしても、奇跡的な逸品を生み出すというわけにはいかないのだ。

 「モエ」は年間2500万本を販売し、約2000万本を世界各国に輸出と突出している。ストックも約8700万本あり、地下窟の貯蔵庫の長さは28キロメートルに及んでいる。モエの常勤職員は約2000人。さらにブドウの収穫期には約2300人の摘み取り人を雇うという。

 「売り上げのシェアは全シャンパンメーカーの約17%を占める」と山本弁護士は話す。「大量生産のワイン」は安酒の代名詞だが、シャンパンに限っては大資産と大規模な設備があってこそ、優れて安定した品質が保証できる、と山本氏。

 モエ家自体はオランダからの移民らしい。ワイン造りと関係するのは1743年にクロード・モエが同社を創設してからだ。94年にはカトリック僧であるドン・ペリニヨンがいたオーヴィレール修道院の建物と畑を買い取った。

 シャンパンの発明者とされるドン・ペリニヨンは1688年から47年間も修道院の酒庫係を務めた。生来鋭い味覚と記憶力に優れ、ワインを一口含んでどこの畑のものかを当てたという。それぞれ異なった畑のワインを混ぜ合わせることで品質を味を優れたものにした。ブレンド技術の先駆者だったわけだ。

 一方、シャンパンの発明は偶然だったらしい。スペインの旅行僧が水筒にコルク栓を使っていることに着目し、それまで使っていた油を染み込ませた麻布の代わりに利用した。シャンパーニュ地方は冬の寒さで発酵を一時やめ、春に再発酵し瓶の中に泡が閉じ込められる。この性質を生かしてシャンパンが誕生した。

閲覧履歴

    クリッピングした記事

    会員登録後、気になる記事をクリッピングできます。